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empower channel#4  Sさん(前編)インタビュ-書き起こし全文

empower channel  #4  Sさん インタビュー書きおこし(前編)

※インタビュアー:わねざきいくえ

 

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わ)なかまへのメッセージ

 

S)少し前までは、養育費を取ることってのはもう本当に逃げ得で、諦めるしかなかったけれども、今は確か去年の法改正で、養育費を受け取れる手段ができたんですよ。相手を追えるような仕組みができたので、怖がらずに、相手が暴力があったりとかは、その子供のことで会わせたくないとか、その接点を持ちたくないと思ったとしても、

お金って絶対将来子供のための教育にかかってくるものなので、そこはその回避できる手段、相手にも知られないでできる手段が今あるので、そこは怖がらずに頑張ってチャレンジして欲しいし、私がやってきたことで力になれることがあるのであれば、一緒に相談に乗りながらでも、行動に移して行ってもらいたいなと思います。

 

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ー強制認知と養育費請求ー

 

S)まず昔の共通の友人がいて、その人がどうもそのどこどこ県に住んでいるらしいよっていう話を聞いてて、そこで相手の戸籍を取るのが、相手の戸籍のあるところでしか取れないので、一か八か、その戸籍の附票を取る手続きを郵送でやったんですよ。

そしたらそれが取れて、そこから戸籍が実はこうこうこうでみたいなお話から、その戸籍を取ることに、多分たまたまなのかもしれないですが、役所の方の対応がすごく良かったからかもしれないんですけど、そこで戸籍を取ることができたんです。

で、その戸籍を取ったら、そのま転籍と除籍を繰り返して、戸籍に離婚歴とか未婚で認知してる子供がいる、子供が二人いることとかっていうのが載ってない状態で結婚してることがわかったんですね。

そうすると、その結婚相手のご両親の住所っていうのが載ってるんですけど、そこをネットで調べたら、たまたま出てきたんです。

それがあって、初めてその住所宛に裁判を起こすということで、裁判所に自分の住んでる県のところに調停申し立てをしました。

そこでまず、その強制認知の手続きっていうのをしたんですけど、その時、相手方は実は来なかったんです。

で、来なかったんですけど、その時から弁護士を立ててきてたので、一度も来てないんですけど、その裁判官と、私のメールのやりとりとかっていうのをずっと私は残してたので、8年前の出来事で、実際本当に自分の子じゃないんだったら来れるんじゃないか、という、出頭命令を相手に何度か裁判所が出してくれて、来ないっていうことは、認めたくない、でも弁護士は寄こしてる、だから自分で本当はそうだったとわかっているんだろうということで、結局それで、DNA鑑定をするっていう話になったんですけど、それを回避するならあなたを父親として認定しますよ、というような形の判決が降りて、そこは認知が確定した後、その後すぐに、養育費の調停を起こしました。

向こうはもうずっと弁護士をつけていたんですけど、ちょうどその時は私も署名の最中だったんですけど、それもちょっと終盤に近づいてきてる頃ぐらいだった頃の養育費調停の申し立てだったんですけども、もう相手は弁護士つけてたので、所得だうんぬんなんていうやりとりとかっていうのを、電話調停っていって、結局その自分の住んでるところではなくて相手の住んでる裁判所でやりなさいという移送命令っていうのが出て、相手の方に裁判官・調停員・弁護士・本人とかがいて、私1人、自分の住んでるところの裁判所に一人で行って、電話会議みたいな感じの裁判調停になったんですけど、ずっと調停員も、やっぱり会ってる方で、弁護士がついてるほうの方の言い分を目の前で聞いてるからなのか、向こうにずっと肩入れをしてるような状況で、結局2年近く月に一度の調停で、調停がまとまらずに、私はずっと一人で毎回調停に行く、向こうが弁護士と一緒に裁判所に行って調停員と色々話しする。で、その話を元に、私と電話を調停員がするみたいな感じだったので、結構その、辛いこととか、嘘言ってるんじゃないかとか、本人はそんなつもりで言ったわけじゃないって言ってますよ、みたいな感じで、相手側擁護な感じだったんですけれども、結局調停は不成立に終わって、審判に移行っていう形になって、その時に私は心療内科も一年半ぐらい通ってて、まだ働くことに対しての許可が下りてないので、診断書とか昨年度・前々年度・前年度とかのその所得証明とか、向こうの前妻の子に対しての養育費を払ってないことの事実みたいなのを、以前、前妻の方とメールのやり取りをしてた履歴とかも残ってたので、そういったものとかも全て揃えて、審判の反論書面として、双方お互い出しなさいみたいな風になって、自分でそれを、全部、反論書面を A 4のルーズリーフ2枚くらいとと証拠とかを色々添付して送付したんです。

で、そしたらその審判の時に、反論書面が向こうに届いて、双方で、裁判官が一応こういうふうにします、みたいな感じで言ったものがあったんです。

ただそれはちょうどその昨年の12月が相手側のボーナスが出る直前だったので、向こうはそのコロナで収入が減ったから払えないとか、俺の子じゃないとか、もうなんか色々言ってたんですけど、払っても15000円だとかなんか色々言ってたんですけど、何でしょう・・、その相手側の言ってるそのことに関して、それが本当かどうかっていうのが12月の賞与で決めましょうみたいな話になって、そこで一旦終わってて、相手方はこう言ってる・私はこう言ってるってのを双方に伝えられて、さらに反論はその場でありますかみたいなのがあったんです。

そん時に相手は色々わーわー言ってたのは、その時だけ初めて、その向こうには電話の向こうには相手側も弁護士もいる、今まではいなかったんですけど、その審判の時だけはもう全員で電話っていう風になってたので、相手の声も聞こえるみたいな感じで、わーわー言ってたんですけど、そこは最後の最後になって裁判官が「あなたの言っていることは単なる憶測とかその想像とかその自分を擁護する言葉を言っていただけで、ひとつもその証拠を示すものがない」という風に言ってくれたんですね。

私に対してそれでいいでしょうか、っていうことで、相手側の賞与明細が出て、そこで「審判を行います。今のところの予定では計算式はこうこうです」というような形で、その調停を起こしたときが月末だったので、その翌月から結婚してないまでの間の期間、相手が再婚してないまでの期間、再婚てのはその前妻、私は抜けてですけど、の期間で再婚したんだけど、再婚相手が働いていた期間。で、相手の配偶者がその仕事を辞めてからの期間ということで、その三つも金額が出たんです。

それに対して、私は友人からお金を借りてたこともあったので、なるべく早く返したいので、そこは一括でって言う話だったので「すぐ返したいので一括でお願いしたい」っていう風に言って、それに対してまた相手側からそのこれに対しまた反論署名を出すっていう話になってその場は終わった、と言うかこれにてもう終了です、と言われて。

その後は「相手側の賞与が明細が出次第、こちらが審判を行って、後は通達するのみになるので、もうこれで裁判所に来ていただくことがありません」っていう形で終わってしまいました。

なので、どうなるのかわからなかったんですけれども、結果、その相手方の給与明細ではこちらにも届くようになってて、結局コロナ前と変わらなかったっていうこともあって、向こうは減額請求を裁判官が言った金額からの更なる減額を申し立ててたんですけれども、それは却下されて、その審判の反論書面を提出した時の金額できちんと決められたので、そこは良かったなと思います。大変でした。

 

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ー未婚ひとり親になるまでの経緯ー

 

わ)お付き合いし始めて、その前妻とのことで暴れたり荒れたりしていて自分の子供と会えないから家庭を作ろうっていうことで彼のほうが積極的に家族を作ろうみたいに言ってきてたっていうことですよね。そこから呼びつけられることが多かった、その辺り教えてもらえますか?

 

S)つきあい始めたきっかけっていうのも、相手が離婚してすぐぐらいの頃で、それまでは、その共通の趣味で繋がってはいたんですけど、挨拶する程度だったんですけど。

別れてすぐぐらいからすごく猛アピールが始まって、ちょっとそれに動かされてお付き合いをするようにはなったんですけど、まだその付き合いも半年ぐらいだったし、その前妻との子さんのこととかも話は一応聞いてたので、そこのところはちゃんとするっていう約束でお付き合い開始したんですけど・・・向こうがすぐ子ども家庭を作りたいっていう気持ちがちょっと強すぎたので、一旦冷静になりたいから、っていうことで一旦離れることにはなったんですけど、それでも向こうから色々・・復縁しようっていうふうに呼びつけられることが多くて、それに対応している間に、まだ前妻とのお子さんのことですごくトラブルが、ずっとより一層激しく続いてたらしくて、どんどん、向こうの家のふすまとか部屋がどんどん汚くなったり破れたり傷つけられたり汚い部屋になっていって、不安を抱えて・・離れましょうっていう話には一旦なりました 。

 

ー性暴力ー

 

わ)不安になっているなか、彼に呼びつけられて性暴力が起きたということですが、その辺りのことをお話していただけますか?

 

S)多分その、憂さ晴らし的なものだったと思うんですけど、向こうは家族を作ろうって言うので頭がたぶんいっぱいで、「無理やりでも子供ができれば結婚してくれるだろう」っていう考えがどうもあったみたいで、それで、私はただ単に復縁の話をもっかいしてくれないかみたいな話って言っただけだったんですけど、またそこでもちょっとお断りと言うか、もう少し様子を見て友人を続けた方がいいんじゃないのかな、っていう話をしようと思ってたんですけど、向こうは子供さえできれば結婚してくれると思ってたみたいで、それで無理やり車の中でされました 。

 

 

ー妊娠発覚ー 

 

わ)その後、身体に違和感を感じて、産婦人科に行って妊娠してることが分かって、それを産婦人科さんがお母さんに電話をして話してしまった・・。妊娠がわかってお母さんはどうだったんですか?

 

S)付き合ってる人がいるのは知ってるけど「お前妊娠したの」って聞かれてて、それから「どうするつもりなの」って聞かれたので、その時は相手の結婚願望がすごく強かったので、まだその子供がその中で着床してるみたいなこと言われたけど心音はしてないって言われたからまだわからないし、

もし、できてるのであれば結婚すると思うから、その時は挨拶に連れてくるね、っていうふうにその時は言ってとりあえずはおさまりました。

 

 

ー子父の反応ー

 

わ)その男性(子父)に対してはどういう風に伝えて、何ていう返事になりましたか?

 

S)向こうは家族を作りたいって言うのがやっぱり大きかったので、「もしかしたら妊娠したかもしれないっていう違和感があるんだけど」って言った時は、すごい大喜びして、産婦人科に一緒に行くってなって、で、一緒に行ったんだけれども、まだ着床はしてるけど心音がしてないっていう話で、また10日後に来てくださいっていう感じで、その時は相手は大喜びでした。

 

 

 

わ)大喜びして婚約届を持って親御さんに挨拶しにいき、結婚しようという流れに。

でもその時にも前妻さんとのトラブルはあって、子父が前妻に「結婚する人が出来た」ってことを伝えたら「じゃあ自分の子供とは会わなくていいでしょう」って言われたということですよね。彼はどういう風になりましたか ?

 

S)まだ見ることのないそのお腹にいる子よりも実際自分が四年間一緒に住んだ娘の方がやっぱり愛情があるから、喜んでたんだけれども、その話になった途端に、「自分の娘に会えなくなるぐらいだったらお腹の子にはやっぱりいらない、おろしてくれ」っていう風に言われました 。

 

 

 

ー暴力ー子父の豹変

 

S)あれだけ結婚して子供作ろう・家庭を作ろうって言ってたのに、私の方が「ちょっと待って待って」っていう感じだったにも関わらず、いきなり真逆の発想になって「おろせおろせ」っていうのばっかりで「おろさないんだった俺が殺してやる」みたいな感じで、そこで暴力が始まった。

 

わ)もう心音が聞こえ始めてた時に、暴力・・。どんな暴力がありましたか?

 

S)心音が聞こえた時点まではまだ大喜びだったんです。

「やったやった、本当に子供生まれる・生きてる・子供生きてる」みたいな感じですごい大喜びだったんですけど、そのほんの数日後にその前妻の子の話とかが会えないもう絶対会わないでくれていう話になった途端にもちょっと豹変してしまって。

もう夜中に泣きながら電話をかけてきたりとかして「今日こう言われたああ言われた」みたいな感じで「もう俺は死んでやる」みたいな感じにもなっていて。

私もバスがない中ずっと歩いてその人の家に行ってなだめたりとかはしてたんですけど、おさまるどころか、逆に怒りがおなかの中の子に向くようになって・・

「こいつができたから俺は娘に会えなくなったんだ」みたいになって、お腹を蹴るとか、階段から突き落とされるとか、、、。

一番はやっぱり突き飛ばされるとかお腹を蹴られるのがすごく多くなってきて・・

怖くて、もう本当に電話ももうそれからは出ないし、1度は家に押しかけてきたこともあるんですけど、そこはたまたま私一人しかいなかったので、玄関の鍵がかかってたので居留守は使ったので無事だったんですけど、とにかく、いきなり怖い人に変わったんです。

 

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ーおなかの赤ちゃんー

 

S)正直、無理やりされて出来たっていうのは頭にあったので、心音が聞こえない時にはおろすっていう選択肢も頭の中にはよぎってはいたんですけど、

でも、心音を聞いた時に、

「あ、生きてるんだ。この子生きてるんだ」と思って、

生きてるって言う、そのほんの小さい1ミリとか2ミリかもしれないけど生きてる子を、私は殺すっていうことは出来ないっていう風に思って、相手に「私はおろせって言われてもおろすことはできない」っていう風に伝えました。

 

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ー未婚出産ー

 

わ)未婚ひとり親になるっていう選択をされることになって、お母様との関係がさらに悪化したことについて少し教えてください。

 

S)もともと母とは折り合いがあまり良くなくて、子供の頃に「お前なんか産むんじゃなかった」とか、私の姉とはすごく仲がいいんですけど私は望まれて生まれた子ではなかったので。

もともと折り合いが悪かったところで未婚で産んで、「産まなかったらこの先お前も結婚して出ていくことがあるかもしれないけど、産んだらもうお前は一生独身のまま母子家庭になるんだよ」って言われて、それで「私は許さないしおろしなさい」と。

母も自分自身が堕胎を経験してることもあって、その堕胎に対してまったく何の感情も抱かない人だったので、とにかくもう「おろしなさい」と。「おろさないんだったら、おろさないでも私は認めないからね」っていう感じで「勝手にしなさい」っていう感じで、もうほぼ無関心っていう・・・。

 

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ー周囲からの興味本位な介入、心無い詮索ー

 

わ)未婚ひとり親への周囲からの興味本位な介入、それについておねがいします。

 

S)お腹が少しずつ大きくなってくるにしたがって、周りは普通の反応なんですけど、「結婚するの?子供出来たの?おめでとう!誰と結婚するの?」みたいな感じになるんですけど、でも「ちょっと相手の人とはお別れして私一人で産むんだよね」って言ったら、「そうなんだ、頑張ってね」とか「大変だろうけど」みたいな言葉じゃなくて「え何で何で何があったの?」みたいな、詳細をすごく聞きたがる人がすごく周りに多くて、何も聞かずに受け入れてくれた人っていうのは一人もいなかった・・・。

 

わ)それはSさんにとってどんな出来事でしたか?説明するのはしんどかったとか、気持ちの部分で言うと?

 

S)説明するにはちょっと頭の中が、まだこんがらがっていて。

・・・未婚で産むっていう人は周りにいなかったので、「離婚とか死別なのは分かるけど何で結婚せんで産むの」と「おろせばよかったやん」っていう意見ばっかりで、「悪いことしてるのか?産んじゃいけない子を産むのかな?」と思って、辛かったし、

産むことによって、結局、みんなからの視線が自分の子供にも行くのかなと思ったら、この子の為に産もうっていう行為が悪いことなのかな?って、その時はすごく悩みました。

 

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ーSさんを支えたものー

 

わ)周囲からも興味本位の詮索があって、自分もすごく混乱してるしこんがらがってる悩んでいる、、で何か悪いことしてるの私?みたいな感じになって。

それでもこのおなかの中に「どんおんおおきくなる」こどもがいる・・

Sを支えた気持ちってどんなだったんですか?

 

S)それはもう、もう本当に自分の身体の変化だったりとか、お腹が大きくなっていくこととか、胎動とか、蹴られる感覚とか、「僕、生きてるよ」って・・

まだその時は男の子てわからなかったですけど、「生きてるよ、生きてるよ」って・・検診に行くたんびに「お母さん元気ですよー、お子さん元気ですよー」とか産婦人科の先生に言われて、写真見たりとか動いてる様子を見ることで、何とか保ってたっていうところはあります。

 

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ーひとり親の子育て環境ー

 

S)まず母親に言われたのが「産むなら産むでじゃあここにいるなら実家にいるならちゃんとお金を入れなさいよ」と。

要は「お前が稼いでる間は私が(こどもを)見るんだからそのぶんのお金は入れなさいよ」と。

それは生活費とは別だと言うことで、私は親の反対を押し切って産んだので、

ぜったいに働かないと・お金を稼がないと、路頭に迷う、と思ったので、とにかく頭を下げてお願いして、朝7時から夜の9時10時、家を空けて、仕事で成果を出して、お給料いっぱいもらって、半分ぐらい家に入れてやってきたんですけど。

 

母乳を与えるのは、息子が朝と夕方、夜と、寝てるとき。ほんのちょっとの時間しかなくて、初めてハイハイしたとか、初めて立ったとか、初めて言葉を発したとか、そういうのも一番最初に見ることは一度もなかったんです。

とにかく母から「稼ぐこと」の圧がすごかった。

 

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ー子どもの難病ー

 

わ)お子さんが難病を抱えているというのははいつわかったんですか?

 

S)幼稚園の頃とかも生後9ヶ月ぐらいの時から成長曲線がどんどんどんどん下がっていって、おかしいなおかしいなと思ってたんですけど、役所の一才児検診とか3歳児検診って、いくらそれを訴えても「大丈夫、大丈夫。そのうちを大きくなるよ」って言われて、誰もその検診の時の先生はいってくれなかったんです。

でもたまたま同じ幼稚園のクラスの子がその指定難病に指定されてて、その子よりもうちの子の方が背が低かったんです。

なのでやっぱりおかしいんじゃないかなと思って、それから色々調べて、私はその専門の小児科を受診して、すぐいろんな検査をした結果非常に悪いということで、すぐ指定難病に指定されて、毎日同じ時間に注射を打たなきゃいけないっていう風な、まあ治療が開始されました。

 

わ)それが分かって(毎日)注射を打たなきゃいけないってなると、、 S さんの仕事の仕方、働き方も変わった。

 

S)そうですね。もともとその通勤も片道1時間とかだったので8時とか9時に終わると家に着くのは10時だったんですけど、

まだ幼い、まだ子供が5歳の時に見つかったので、睡眠を8時には取らせる、

もしくは7時半に寝るってなると、5時ぐらいにはもう家に帰らなきゃいけないふうになって、、、

さすがに面倒を見ている母とはいえその時も息子はもう2歳になってすぐから幼稚園に通いだしているので、四年保育で母が見てるのは朝の私が出てからバスの所まで行ってて帰ってきてから私が帰ってくるまでの間っていうぐらいだったんですけど、

でも、それでも、やっぱり私が早く帰って来るって言う事に対して、(母としては)自分に入ってくるお金が少なくなるって言うのもあったので、それに対してすごい嫌味も色々言われたんですけど、

私も一生懸命その時働いてずっと来てたので、ちゃんとした役職の仕事を任されていたんですけど、それが働けなくなるってなると一気にも収入がなくなると言うか、その役職にいられないっていうことになって、結局、そこを退職をせざるを得ない状態になりました 。

 

 

(前編終了、後編へ続く)

 

 

 

 

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署名ご賛同・拡散のご協力をお願いします。

キャンペーン「指定難病の子供の治療を続けさせてください」

キャンペーン · 指定難病の治療を子供に続けさせて下さい。 · Change.org

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