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youtube『empower-channel』のブログ・・DV・虐待・性虐待・性暴力・二次加害・人権・トラウマケア・エンパワー

「二次加害」についてー当事者として招かれた勉強会等での体験からー

ー二次加害についてー

 

エンパワーチャンネル#1伊藤楓さんの実体験より。

伊藤さんが、過去、”施設内虐待の当事者”として自治体や市民活動グループ等の勉強会に招かれた際に実際に言われてきた「心無い言葉」や「二次加害」にあたるといえる

否定や攻撃の言葉をまとめてみました。

 

今後、同じような被害を受けることを(加害されること)を防ぐために

仲間と一緒に話し合い、以下のような表を作ってみました。

 

こちらは伊藤楓さんの体験が中心ですが、

似たような体験をしている当事者仲間の話はよく聞きます。

暴力・虐待の後遺症と、社会の二次加害は、密接に関わっているのです。

 

関心を寄せて下さる非当事者の方々とともに、このテーマについて

一緒に考えていけたらうれしいです。

 

ご意見ご感想はこちらまでお願いいたします。

NPO法人アコア npoacoa@gmail.com

 

 

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DV・虐待・面前DVについて


DVって?虐待って?面前DVって?などなど、

理解するのに役立つサイトをお知らせします。



内閣府のこのサイトがとてもよくまとまっていてわかりやすいです。

 

上のサイトからもわかるように、DVは子どもの心を壊します。

子どもの身体への暴力だけが子どもに深刻な影響を与えるのではありません。

こちらも是非ご覧ください。

『両親のDV 目撃による脳への影響

夫婦間のDVを目撃させる行為が心理的虐待の一つにあたることが,児童虐待防止法でも定義されている。DV曝露を受けた子どもにはさまざまなトラウマ反応が生じやすく,知能や語彙理解力にも影響があることが知られている。筆者らの検証でも,DV を平均4.1年間目撃して育った人は,視覚野(ブロードマン18野:舌状回)の容積が平均16パーセント減少していた(Tomoda et al., 2012)。また悪い影響が一番出やすい時期は,11歳〜13歳であることがわかった。さらに,DVには殴る・蹴るなどの身体的暴力だけでなく,罵倒するなど言葉の暴力もあるが,こうした「言葉によるDV」を目撃してきた人のほうが,身体的DVを目撃した人より,脳のダメージが大きかった。』

 

 

 

 

psych.or.jp

www.gender.go.jp

DV・虐待・面前DVについて


DVって?虐待って?面前DVって?などなど、

理解するのに役立つサイトをお知らせします。



内閣府のこのサイトがとてもよくまとまっていてわかりやすいです。

 

上のサイトからもわかるように、DVは子どもの心を壊します。

子どもの身体への暴力だけが子どもに深刻な影響を与えるのではありません。

こちらも是非ご覧ください。

『両親のDV 目撃による脳への影響

夫婦間のDVを目撃させる行為が心理的虐待の一つにあたることが,児童虐待防止法でも定義されている。DV曝露を受けた子どもにはさまざまなトラウマ反応が生じやすく,知能や語彙理解力にも影響があることが知られている。筆者らの検証でも,DV を平均4.1年間目撃して育った人は,視覚野(ブロードマン18野:舌状回)の容積が平均16パーセント減少していた(Tomoda et al., 2012)。また悪い影響が一番出やすい時期は,11歳〜13歳であることがわかった。さらに,DVには殴る・蹴るなどの身体的暴力だけでなく,罵倒するなど言葉の暴力もあるが,こうした「言葉によるDV」を目撃してきた人のほうが,身体的DVを目撃した人より,脳のダメージが大きかった。』

psych.or.jp

www.gender.go.jp

empower channel  #7  根来さん(30代)後編 インタビュー書きおこし

empower channel  #7  根来さん(30代)後編 インタビュー書きおこし

★根来さんは『虐待イベント』で朗読をしてくださった「九条ネギ」さんです★

 

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www.youtube.com

 

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ーあの時必要だったもの・どうやったら自分が助かったと思うかー

 

当時を振り返って、あの時必要だったもの・どうやったら自分が助かったと思うかって、自分でもよく考えるんですけど、周りの人が特に何もしてくれなくてもいいけどせめて情報が欲しかったっていうのは思います。

何が虐待か・何が家庭内暴力か気づくきっかけというのがあったらなーって思います。

 

家の中にずっと閉じ込められていたわけではなくて、病院だったり学校だったり図書館だったりっていう場所には入ってるんですよね。

そこで自分がされていくことに気づくきっかけ、例えばパンフレットだったり本だったりそういったものがあれば、私は気づけたんじゃないかな、っていう風に思います。

 

当時はやっぱり情報があまりにも少なすぎたし、私の周りは身体的暴力を受けてる友達っていうのも、今思うと結構多かったんですね。

 

で、今私がこの歳になっていろんな本を読んで、思い返せば、例えば家族に迷惑をかけてるって言う友達がいたんですね。何か・・物を取ったり、なんかバイクを盗んだり、バイクで事故したりとかってして。それで「家族に迷惑かけてる」って言われてて。よく考えたら、その子の両親っていうのは、お父さんの方がアルコール中毒でその子も結局殴られてて、お母さんも殴られてて、それはその子なりの反抗だったと思うんだけども、そういうこととかは何も気づくことができなくて、私も話を聞きながらも、できなくて「ひどいね」っていうような言葉をかけるしかなくて。

そういう人たちがみんなで集まって慰めあうようなことしかできなかったんです。

だから、なにかあの時、『家庭内暴力』だったり『虐待』とか『 DV』 だとか、そういう『機能不全家族』だったりとかっていうことに関する教育、知らせるような何かがあったら良かったんじゃないかなと思っています。

 

 

ー非身体的暴力についてー

 

私も母親も父親から身体的暴力も振るわれていて、身体的暴力だけで考えても、母親は暴力を振るわれていたんですけど、非身体的暴力・精神的支配だったり、無力感・絶望感、罪悪感を植え付けられたことのほうが、後々に影響を、もっと長い間影響したし、

非身体的暴力があったから、暴力を振るわれても逃げられなかった・・っていう風に思っています。

 

私もなんですけど、母親も仕事をしていたんだけども、「そんなくだらない仕事」みたいな感じで言われたり、仕事をしていなかったらしていなかったで、やっぱり私も母親もそのことを責められたり。 そういう、日常的に自分の「自信」だったりっていうものを奪われていくっていうことがあったと思います。

精神的暴力っていうのは、すごく実はとても強烈で。身体的暴力っていうのは、外傷は目に見えるんだけど、そして時間が経ったら表面的に癒えるものも多いと思うんです。

けれど非身体的暴力、その支配的な言葉だったり、自分を否定するような言葉の表現だったり、そういう物っていうのは、そういうものによって身についた思考の癖だったり、生活習慣とかだったり、自分の存在への生きることへの罪悪感っていうのが、すごく深く染みついていて・・

それがある限りは、やっぱり「逃げる」って言うことができなくなるんじゃないかなって思いますね。

 

 私の場合は感覚麻痺もあるんですけど、暑い寒いとか痛いとかっていうのがもう一時期全然わからなかったんですよね。

やっぱり我慢に慣れてるっていうところもあって、今も、もう親から逃げて結構時間が経つんですけど、やっぱりエアコンつけることに抵抗があったり、エアコンつけようとしたら、やっぱり「金の無駄遣い」と言われたような言葉が頭の中で繰り返されるような事っていうのがあるんですよね。それを一個一個打ち消していくような毎日を、今もまだ、送っています。

 

ー野田の事件ー

それを考えた時に、前にテレビで見て「あ、これだ」と思ったのが、目黒で5歳の女の子が殺された事件、野田の小4の女の子が殺された事件のニュースを見た時に「これは私と私の母親の話」だって思ったんですね。

あのニュースを見た時、ご本人とか、家族が、病院の医師とか役場の窓口の担当の人に「暴力を振るわれている」って言っても、暴力自体は軽いものだったみたいなんですけど、でも連絡先を消されたとか、人付き合いとか食べ物や睡眠が制限されたとか、「お前はブス」だとか「馬鹿」だとか「太っているとか」っていう言葉をずっと言われていてお母さんが逃げられなかったお話を聞いて・・

まさにこれだなって。

これは私と私の母親の話だっていう風に思ったんですよね。

そのことを医師だったり、役場の窓口担当だったりという専門の人に話したのに、相談したのに、DV だと気づいてもらえなくて・・。 そこでこのお母さんを救うっていう話にならなかったっていうのが、私としてはとてもショックでした。

このままだったらうちの母親みたいな親だったり、私みたいな子どもだったりっていうのは、やっぱり、これからも救うことができないと思うんですね。

 

外傷がひどい子供たちを救おうだったり、外傷がひどいお母さんとかお父さんとか親だったり、外傷がひどい人だけを救おう、ということだったら、やっぱりこれからも(みんな)救えないと思っていて。

 

私が親から逃げる時、私に情報をくれた人たちっていうのは DV 被害者の方が多かったんですよね。その時にいろんな制度・・『DV 防止法』の事も少し教えてもらって、やっぱり日本の DV 防止法って遅れてるんだなーって、そういうことを自分で気づいてもらえないんだなーっていうことが分かって、私はとてもショックを受けました。

 

 

 ー「家族というもの」についてー

 

 もう「歪(いびつ)」というか、もう「家族として機能していないのに家族という形にはめないでほしい」「家族であり続けさせようとしないでほしい」って今は思います。

 

私にも一応両親がいるんですけど、あれは’お母さん’とか’お父さん’とかそんなんじゃなくて、生物学上の父母なんですよね。もう、そういう風にしか私には思えないんだけども、「大事な一人だけの、世界にたった一人だけのお父さんお母さん」とかって・・。

 

そういう意味づけをされるのが本当に嫌だし「お父さんお母さんの愛情を知らないと欠落した人間・何かが欠落したダメ人間」みたいな・・、何か足りない人間みたいなこと言われるのが本当に私は嫌です。

 

「親の愛情を知らない」っていう風に言われたりもするんだけども、そういうのって私にとっては別にもう「最初からなかったよ」みたいな感じで。「ヨーロッパ貴族の娘に生まれたかったけど、まぁそんなこと言っても仕方ないじゃん」みたいな感じなので、別に私にとってはそこは大事ではないんですね。

自分はホームドラマに出るようなあったかい家っていうのは別にそこまで大事じゃないんですよね。 すごくめんどくさいです。

 

それによって抱えている難しさっていうのはある。例えば、自分のパートナーにどういう言葉をかけるか、どういうイベントをするかとか、なんかちょっとぎこちない時にどういう言葉をかけて環境を良くしていくか、という、そのお手本が少ないのは、ちょっとネックかな、っていうふうには思うけど、それは別に、うちの両親から学ばなくても、他のカップルだったり、別のご自宅別のご家族だったりをモデルとして学ぶことはできるというふうに思ってます。

 

あと現実的なところで言ったら、結局、両親と絶縁して何が困るかって言ったら、

保証人がいないとか、支援措置を毎年かけないといけないとか、入院ができない・・、できないこともないけどやっぱり入院する時とかに「ご家族の連絡先は?」とか言われたりっていうのも、すごく面倒くさいです。

 

両親の愛情を知らなくても別に毎日楽しく暮らせますので、どうぞ皆さん心配しないでください。 

 

 

ー周囲の人・非当事者へー

 

 周りの人とか、非当事者の人、今苦しんでない人も、こういった事っていうのを知識として学んでおいてほしいなって思います。そして情報提供してあげてほしいです。

私もそうだったんですけど、私が逃げるきっかけになった時っていうのも、ネットで全く見ず知らずの人が「あなたがされてること、あなたとあなたのお母さんがされてることは、DV・ 虐待です」って言ってくれてホームページだったり、情報であったりっていうのを送ってくれたんですよね。それだけで本当に私の後の人生ってのも変わったので。情報っていうのはとても大事だと思っています。

自分がいきなりその場に行って、最後までその人の人生の全てを救う必要はないので、

せめて、そういう風に苦しんでいる人がいたら、声をかけたり、「あなたの受けていること・あなたがされている事・あるいはあなたが苦しい原因って、もしかしてコレじゃないですか」って言うな感じで、「 DV」 だったり「虐待」だったり「機能不全家族」だったり、そういう情報っていうのをその人に教えてあげて、伝えてあげてほしいなと思っています。

 

これは私が言った言葉じゃなくて、路上生活支援をしている人が言っていた言葉で、よく思い出すんですけど

 

【どこかに大きな太い命綱が一本あってもそこに繋がれない人は助けられないんです。でもたくさんの細い紐がいろんな所にあったら、それを頼りにその人が自分で助かることができる。必要な支援を受けたり自分で助かることができる。】

 

というふうにおっしゃってて、そうだなって思うんです。

虐待死事件とか見てとっても憤りを感じたり、本当に胸を痛めたり、っていう優しい方っていうのは、いっぱいいると思うので・・どうか学んで、そういう困っている人に、情報を与えられるように学んでいただきたいなと思っています。 

 

 

ー仲間へのメッセージー

 

自分と同じような体験した人に向けてというのは・・

そうですね。ひどい人間もいるんですけど、優しい人もいっぱいいるな・・ていう風に思ってるんですね。

私の場合は、もう、生まれた時に家の中にいた自分の親がラスボスみたいな感じで・・

逃げた後に出会う人のほとんどが優しいくらいの気持ちなんですよね。

すごくそれは衝撃だったんですよ。

本当に「もういつ死んでもいいや」ぐらいの気持ちもあったんですよね。でも、今は、やっと「死ぬのが怖い」って思えるようになったんです。

昔は本当に好きな時に好きなものを食べるとか、暑い・寒いとかを感じたりとか、鼻歌を歌うとか、好きな服を着るとか、化粧をするとか、好きな音楽を聴くとか、そういうことが全然できなかったんです。

でも今はそういうことをしてる自分に気がついて「夢みたい!」って本当に思うんですよね。

だから、たぶん、大丈夫。 だから、どうか、幸せになってほしいなって思います。

 

 

 

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empower channel  #7 根来さん(30代)前編 インタビュー書きおこし

empower channel  #7  根来さん(30代) インタビュー書きおこし

★根来さんは『虐待イベント』で朗読をしてくださった「九条ネギ」さんです★

 

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(前編)

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ー家での暴力・祖母からの言葉ー

私の父も過去に親から暴力を振るわれていたそうです。そしてとても貧乏だったそうです。

その鬱憤なのか、父親が祖母や母親に暴力をふるっていました。口論なんかじゃなく「ぶっ殺してやる」といいながら祖母や母の首を絞めたり、手元にあった大きな裁ちバサミをぶん投げて、壁に突き刺さったりとかいうことが一番記憶に残っています。

周りの親族が止めるんですけど、そのうち誰もうちの親に関わらなくなりました。親族で集まるたびにそういう事件が起きるので、親族付き合いがなくなりました。

祖母が「あなたがお母さんを助けてあげてね」と最期に言いましたが、その時の私には、何もできませんでした。

 

ー面前DVの影響ー

小学校に入る頃、入学してすぐの頃は、男性の怒鳴り声を聞くと心臓がバクバクして冷や汗が出て動けなくなり、固まってしまうようになりました。後からそれは『面前 DV』 の影響だということがわかりました。

 

摂食障害リストカット

家に遊びに来た友達や先生はそんな父を見て「面白い人ね」と言いました。私自身も、学校ではどちらかというとおちゃらけたキャラでした。中学の頃には摂食障害リストカットなどをするようになって、不登校になりました。

親はそういう私に「みっともない」「情けない」「死ね」「クズ」と言いました。 

そのことを、担任病の先生に話した記憶がありません。話していないわけがないと思いますけど、話していないかもしれません。

 

ー通院していた時間ー

大人になって色々自分のことを整理したくてカルテ請求したら’原因不明’と書かれていました。親との関わりについて、ほぼ何も書かれていませんでした。あの通院していた時間は何だったのかなと思います。

 

ー周りは誰も気づかないー

そういう私のことに気づいた人は誰もいませんでした。高校生になって一回だけ別のクラスの先生が「あなたのお父さんは子離れできていない」と言ったけれど、それ以上の何もしてくれませんでした。

 

ダブルバインド・コンプレックスの塊ー 

「学校に行く奴は馬鹿」と言われます。でも「学校に行かない奴はクズ」と言います。だから不登校になったんですけど、学校に行く私に対して「学校に行く奴は馬鹿」って言うんですけど実際私が不登校になったら学校に行かない奴はクズと言って、やっぱり私を殴って首を絞めてきました。

他には、冬や夏にエアコンや暖房をつけると「金の無駄」と言います。そして私がつけないでいると「変人」と言います。だから好きだけどやっぱり金が無駄と言われてそういうことずっと繰り返されていました。あと「服がダサい」って言われるんです。でもお金があんまりないし、家は貧乏だって言われてたから父親とか母親の服を私は着ていたんです。高校の時でも、自分で本当に欲しい服が着れなかったんですよね。服がダサいと言われて、服を買おうとすると「金食い虫」って言われ。そういうことがとても多かったです。今思うと父親は多分過去の貧乏な生活があったからコンプレックスの塊だったんだと思います。

 

ー子どもにマウントを取ってくるー

小学生の私にマウントをとってくる、保育園の年長の時に書いた絵も、父の日に書いた絵が「下手くそだ」と言ってゴミ箱に捨てられました。小学生くらいになって私が国語漢字ドリルとかひらがなの練習とかしていると「下手くそだ」と言って自分がいかに字や絵がうまいか、そしていかに私が下手でセンスがないかをこんこんと言ってくるんですね、ずっと。

 

ー自慢と説教ー

それとか、自分がいかに’ものを知っているか’っていうのを、小学校1年生の私に言ってくるんです。その説教とか謎の呪文が真夜中まで続きました。小学生の時からそういう説教中なのも当たり前、でも全く意味が分からなくて、24時を超えることもありました。当時6時ぐらいに帰ってきて、いきなりその日の私の作った工作の作品だったりテストだったり漢字ドリルとかそういうものを見て、真夜中までずっとご飯も食べずにひたすら「本当にお前は絵が下手だ」「字が下手だ」「俺を見習え」みたいな説教がずっと続きました。

 

ー外部の人にもー 

私以外の人に対しても同じような態度で、家に来たセールス訪問販売の人とか、セールスの電話番の人とか、父親が対応したら、もう帰してもらえない・電話も切れないこともありました。朝に来たセールスの人が夜になっても帰れないっていうこともありました。

電話やお店で店員さんとかに怒鳴るとかっていうのが当たり前で、それを私に自慢してきたり嬉しそうに話したりしていました。一緒にいることが恥ずかしくて、もう他の人にとても申し訳ない気持ちでした。

私の母親はその父親を「そんな人だから」といって諦めていたり「もう仕方ないね」と言って、父親と一緒に笑っていました。私も変だなと思いながらも感覚が麻痺と言うか、もうそれが当たり前というか、おかしいなと思いながらも、どれだけ異常なことかっていうことがわかりませんでした。

 

ーすべて命令形ー

うちの父親が私に言う時は全部命令形で、殴られた後にぼーっとしてると「笑いなさい」とか「そんな顔するな」と言われました。風邪を引いた時も「良くなりなさい」、摂食障害になった時も「食べなさい」、全て命令形でした。

 

 

ー不安定な生活ー

そんな父親との生活は私たち家族にとってとても不安定なものでした。就職したかと思うといきなり「上司と喧嘩して仕事を辞めてきた」とか笑いながら言います。それでよく母と口論になって母親が泣いていました。

 

ー母親の変容・母への想いー

下の兄弟が生まれてすぐ頃のすぐの頃、私がまた保育園年中ぐらいの頃、一度母親が私に泣きながら「もう離婚したい」と言いました。その時私が「みんな一緒がいいな」と言ったら母親が「分かった」と言いました。でもその後どんどん母親や私への暴力がひどくなって、中学くらいで私が「もうもういいよ、もう離婚していいよ」と言った時には、母親の方が「私は馬鹿だだから離婚なんかできない」というようになってしまいました。日常的に父親から笑いながら「お母さんは本当に馬鹿な人、これも知らない・あれも知らない・何もできない」そういうことを本当に毎日聞かされていました。

母親が「もう離婚できない」と言ったことを聞いて、昔あの時私が、母親が離婚したいと言った時に私が止めたせいだという気持ちがありました。だから私があの時「離婚していいよ」って言えなかった責任として「母親を助けなければ」と思っていました。

 

ーいびつな暮らし・金銭感覚ー

父親はお金がないと言う割にいきなりバイクを買ってきました。「うちには何百万の借金があるんだよ」と毎日毎日、母親から聞かされていて、お年玉とかうちの祖父母からのお祝い金だとか、そういうものを「お父さんにあげていい?」と聞かれても「いいよ」と言うしかありませんでした。母親からいつも「うちにはお金がない」と言われました。でもそんな中でもなぜか海外旅行には行く・・。そういうとても歪つな生活でした。

 

ートロフィーチャイルド 父親に取りこまれていく母親ー

 私の手柄は自分の父親の手柄でした。それ以外のことは全部私のせいでした。いつも私のことを「クズだ」とか言う割に私が例えば成績が良かった、100点取った、そういう時は「さすが俺の娘」って言うようにそれ以外それ以外の時は「クズ」「死ね」っていうことを当たり前に言う、そういう関係でした。

’トロフィーワイフ’と言うか、もう’トロフィーチャイルド’みたいな感じで、私は父にとってアクセサリーになんだなと思っていました。私の人格はなくて、父が自分を飾るための道具なんだと、中学ぐらいの時から思っていました。

中学生の時に摂食障害になった時、病院の先生には入院を勧められました。私は家から離れたかったし入院したかったけど、なぜか父が「こんな辛気臭い娘を持ってお父さんかわいそう」「恥ずかしくて会社の人に顔向けできない」と言って、泣き出しました。私の目の前で。そして何故か母親がよしよしと父親を慰めて「お父さんを困らせないで、あんたが出て行きなさい、お父さんに謝りなさい」って言ったんですよね。私が「出て行くよ」って言ったら、「こんな娘を持ってお父さんは不幸だ」と言って「もう死ぬ」と父親が言って、それを母親が止めて、そしてまた母親が私に「余計なこと言って・・、あんたが出ていけ、あんたが謝りなさい」っていう繰り返しでした。 

いつのまにか母親も父親に取り込まれていました。父親の味方だけをするようになりました。

 

 ー精神的支配の威力ー

 ある日、父親が母親に向かって何か怒鳴って、母親を睨みつけたら母親がそれだけでぱたっと倒れました。私が成人してからのことなんですけど、その時に「あーもう無理だな」って思ったのと同時に、やっぱり自分がどうにかしなければと思っていました。

 

ー助けを求めていい・逃げていいなんて思っていなかったー

でも外に助けを求められるなんて、その時は思っていませんでした。誰にも相談できませんでした。

そもそも相談する場所を知らなかったし、インターネットもまだ昔だったから気軽に使うことができませんでした。私は仕事も行ってましたけど、そのことをわざわざ周りに話すことはありませんでした。

ただ私の職場の人も、私の頭の傷とか顔の怪我とか見てたはずなんですけど、どうしても隠せなかったから、でもその時も、なんとなく私は自分でごまかしてもいました。やっぱりそのまま話すっていうのが恥ずかしいっていうような気持ちもありました。時々ぽろっと、ちょっと喧嘩して・・みたいな感じで言ったら、ええーみたいな感じはされるけど、それだけ。あるいは同じような境遇の仲間と「むかつくよね」というだけで終わりました。 

今思ったら、私の周りは、やっぱり虐待を受けてたりする人も何人かいたんです。そういう子達とはそういう話はできるんだけど、もうみんな「仕方ないよね、むかつくよね」っていうことだけで終わって。

みんなも自分の家族に対応することで精一杯で・・みんな逃げる方法を知らなかったし、逃げられるって言うことを知りませんでした。

 

 

ー外部からの情報を得てー

二十代半ばぐらいでネットも普及し始めて、SNS を始めて「毒親」とか「モラ父」っていう言葉を知って。

最初は「そんなことはない」と思っていました。どちらかというと、自分にされたこと・過去にされたことを忘れていたり、記憶がなかったんですね。でも「父親にこういうことを言われた」「今日はこんな風に言われた」とか、「今日殴られた」とか「今日は母親がこんなことされた」「殴られた」みたいなこと書いてたら、「それもう DV だ」よって言われて・・・。私もオープンにして書いていたので、そういうことを。

そしたら気づいた方が、どっちかというと DV 被害者っていう立場の方が多かったんですけど、「あなたのお母さんと同じ状況です」っていう風にメッセージをくださって、「もう逃げていい」ってアドバイスをもらいました。  

でも、それでも、まさかと思って。そんな、逃げられるなんて、逃げ切れるわけがない、と言うか、それが本当に、その、本当に DV だったり虐待だったりだとか、逃げるほどのことだとか、あるいは、父親だけじゃなく母親とか「他の家族を見捨てていい」っていうことが、やっぱり思えなかったんですね。

やっぱり「最後まで守らなきゃ・どうにかしなきゃ」っていう思いがあったんですけど・・・。

 

 

ー家を出るー

ある日、父親が酔っ払って、母親が、パシンパシンと何回も何回も、平手うちをされてたんですよね。

私は隣の部屋だったんだけど、聞こえるんですよね。パシンパシン、ガシャンガシャンって音が。隣の部屋から聞こえるんですね。それで部屋に行って庇おうとしたら、母のところに入って庇おうとしたんだけども、逆に母親が私に怒って「父親に謝りなさい」「余計なことするなー」みたいな感じで「土下座して謝りなさい」て感じで・・・。

その時、私は、顔を拳で何回か殴られてて、片目が腫れて、潰れて、唇が切れてたんだけども、それでも母親は「あのね、お父さんはあんたのことも大事に思ってんのよ」と。

そんなわけないじゃんと思っても、「あんたが悪いから謝りなさい」って言われて、その時に、自分の中で、何かが切れて・・母親にとって私って大事な存在じゃないんだなって思って、その時にもう何かが本当に吹っ切れて・・・。

その後またSNSでいろんなアドバイスをもらって、最終的に、逃げることができました。

 

 ―家を出てから・後遺症ー

そこから一年くらい、悪夢が本当に凄かった。血みどろの悪夢でした。

自分が父親に対してだけでなく、母親にこんなにもすごい怒りを抱いてっていうことに、とても自分で驚きました。父親の事は昔から、殺し方とかも結構見てたんですけど、母親に対してこんなに自分が怒りを抱いてたっていうことに、(家を)離れて初めて気がつきました。

その時まで「私は母親を守らなきゃ」と思ってたけども、実際には母親に対してもそんなに怒ってたんだなっていうことにショックでした。

そしてひどい不眠症になりました。眠るとそういう悪夢を見るから、悪魔を見ることが怖くて眠れない。でもやっと眠れたと思ったらやっぱりすごい悪夢を見て、本当に飛び起きる感じ飛び起きて・・・

もうそういうのがずっと続いて、でも眠れない。本当にもう死ぬかと思いました。

それが1年ぐらい続いたけど、でも、少しずつ、それも減っていきました。

 

ー家を出てみて思うことー

 家にいるときは、私がいなくなったら父親が「もう自分は死ぬ」とか言ってたし、母親が殺されると・・父親に殺されるのではないかと思っていました。 

でも逃げてから数年たって一度実家を遠くから見に行ったら、外見は特に何も変化はありませんでした。

父親も、母親も、私がいなくなっても多分普通に生きてるんだなと思います。

今思うと「お前が出て行くなら死ぬ」っていうのは本気ではなくて、多分私に対するただの脅しだったんだなと思います。

だから、今、その渦中にいる方で、「自分が逃げたら、他の家族を置いて逃げたらどうなるんだろう」って、心配されてる方もいらっしゃると思うんですけど、そこは心配しなくていいんじゃないかなと思います。 

他の兄弟がいたらちょっと心配かなとは思うんですけど・・

加害者はそんな風に(死ぬ死ぬ)言うけど意外と図太いと今は思っています。

 

そしてもし私が本当に我が子を大事に思う親だったら、

自分がもし親になったらどう思うかなって考えた時に、

私が本当に我が子を大事に思うようなら、もし自分の子どもが家を出てっても、

幸せに生きていてくれいてくれたらそれだけでいいと思うと思うんですよね。 

もしうちの親が今私のことを恨んでたりとかするんだったら、やっぱり家を出て正解だと思います。

あの人たちが本当に私の親なら、今私が幸せに暮らしていることを喜んでいるはずです。

私は今後も彼らに連絡を取るつもりは一切ありません。

 



IMG_3027 あの時必要だったもの・どうやったら自分が助かったと思うか

当時を振り返ってあの時必要だったものどうやったら自分が助かったと思うかって自分をよく考えて考えるんですけど、周りの人が特にそう何もしてくれなくてもいいけどせめて情報が欲しかったっていうのは思います。何が虐待か何が家庭内暴力かその気づくきっかけというのがあったらなーって思います。家の中にずっと閉じ込められた理由で閉じ込められていたわけではなくて、病院だったり学校だったり図書館だったりっていう場所には入ってるんですよね。またしてそこで自分がされていくことに気づくきっかけ、例えばパンフレットだったり本だったりそういったものがあれば、私は気づけたんじゃないかなっていう風に思います。当時はやっぱり情報があまりにも少なすぎたし、私の周りはやっぱりその身体的暴力を受けてる友達っていうのも今思うと結構多かったんですね。で、今私がこの歳になっていろんな本を読んで、思い返せば、例えば家族に迷惑をかけてるって言う友達がいたんですね。何か・・物を取ったり、なんかバイクを盗んだり、バイクで事故したりとかってして。それで「家族に迷惑かけてる」って言われてて。友達が言っていたんだけども、よく考えたら、その子の両親っていうのはお父さんの方がアルコール中毒でその子も結局殴られてお母さんも殴られてて、それはその人なりの反抗だったと思うんだけども、そういうこととかは何も気づくことが、私も話を聞きながらも、できなくて。「ひどいね」っていうような言葉をかけるしかなくて。そういう人たちがみんなで集まって慰めあうようなことしかできなかったんです。だからなにかあの時、『家庭内暴力』だったり『虐待』とか『 DV』 だとか、そういう『機能不全家族』だったりとかっていうことに関する教育、知らせるような何かがあったら良かったんじゃないかなと思っています。

 

IMG_3029 非身体的暴力について

 

私も母親も父親から少し身体的暴力も振るわれていて身体的暴力だけで考えても,母親から暴力を振るわれてたんですけど、非身体的暴力・精神的支配だったり無力感絶望感あれば罪悪感を植え付けられたことのほうが、後々に影響を、もっと長い間影響したし、その非身体的暴力があったら暴力を振るわれても逃げられなかったっていう風に思っています。私もなんですけど、母親もやっぱり仕事をしていたんだけども、なんか「そんなくだらない仕事」みたいな感じで言われたり、仕事をしていなかったらしていなかったでやっぱり私も母親もそのことを責められたりそういう・・日常的に自分の自信だったりっていうものを奪われていく・・・ていうことがやっぱりあったと思っています。

精神的暴力っていうのはすごく実はとても強烈で、身体的暴力っていうのは、その外傷は目に見えるんだけども、そして時間が経ったら表面的に癒えるものも多いと思うんです。

けどその非身体的暴力、その支配的な言葉だったり、自分を否定するような言葉の表現だったり、そういう物っていうのは、そういうものによって身についた思考の癖だったり、その生活習慣とかだったり、自分の存在への生きることへの罪悪感っていうのが、すごく深く染みついていて、それがある限りはやっぱり逃げるって言うことができなくなるんじゃないかなって思いますね。 私の場合は感覚麻痺もあるんですけど、暑い寒いとか痛いとかっていうのがもう一時期全然わからなかったんですよね。やっぱりその我慢に慣れてるっていうところもあって今ももう親から逃げても結構時間が経つんですけど、やっぱりエアコンつけることに抵抗があったりそのエアコンつけようとしたらやっぱりそのもう本当にもう「金の無駄遣い」と言われたような言葉が頭の中で繰り返されるような事っていうのがやっぱりあるんですよね。それを一個一個打ち消していくような毎日を今もまだ送っています。

 

それを考えた時に、前にテレビで見て「あ、これだ」と思ったのが、目黒で5歳の女の子が殺された事件、野田の小4の女の子が殺された事件のニュースを見た時に「これは私と私の母親の話」だって思ったんですね。あのニュースを見た時、ご本人とか家族が病院の医師とか役場の窓口の担当の人にその暴力を振るわれているって言っても、その暴力自体は軽いものだったみたいなんですけど、でも連絡先を消されたとか、人付き合いとか食べ物を睡眠が制限されたとか「お前はブス」だとか「馬鹿」だとか「太っているとか」っていう言葉をずっと言われていてお母さんが逃げられなかったお話を聞いて・・まさにこれだなって、私と私の母親の話だ、っていう風に思ったんですよね。そのことを医師だったり役場の窓口担当だったりという専門の人に話したのに相談したのにDV だと気づいてもらえなくて、そこでこのお母さんをすっていう話にならなかったっていうのが私としてはとてもショックでしたこのままだったらうちの母親みたいな親だったり私みたいなことも歌ったりっていう人はやっぱりこれからも空くことができないと思うんですね。外傷がひどい子供たちを救おうだったり外傷がひどいお母さんとかお父さんとかも親だったり外傷がひどい人を救おうということでだったら、やっぱりこれからも救えないと思っていて、私が親から逃げる時に私に情報をくれた人たちっていうのは DV 被害者の方が多かったんですよね。その時にいろんな制度『DV 防止法』の事も少し教えてもらって、やっぱ日本の DV 防止法って遅れてるんだなーって、そういうことを自分で気づいてもらえないんだなっていうことが分かって、私はとてもショックを受けました。

 

 

IMG_3030  「家族というもの」について

 

「家族というものについて」・・もう歪というか、もう家族として機能していないのに家族という形にもはめないでほしい、家族であり続けさせようとしないでほしいなっていうふうに今は思います。私にも一応両親がいるんですけど、あれはなんかお母さんとかお父さんとかそんなんじゃなくて、生物学上の父母なんですよね。もうそういう風にしか私には思えないんだけども、「大事な一人だけの世界にたった一人だけのお父さんお母さん」とかって、そういう意味づけをされるのが本当に嫌だし、お父さんお母さんの愛情知らないと欠落した人間、何かが欠落したダメ人間・・みたいな、何か足りない人間みたいなこと言われるのが本当に私は嫌です。親の愛情を知らないっていう風に言われたりもするんだけども、そういうのって私にとっては別にもう最初からなかったよみたいな感じで、「ヨーロッパ貴族の娘に生まれたかったけどまぁそんなこと言っても仕方ないじゃん」みたいな感じなので、別に私にとってはそこは大事ではないんですね。自分がホームドラマに出るような、なんかあったかいなんか見えないっていうのは別にそこまでじゃないんですよね。すごくめんどくさいです。それによって抱えている難しさっていうのはあるんですね、例えば自分のパートナーとかにどういう言葉をかけるか、どういうイベントをするかとか、なんかちょっとぎこちない時にどういう言葉をかけて環境を良くしているか、という、そのお手本が少ないのはちょっとネックかなっていうふうに思うけども、それは別にうちの両親から学ばなくても他のカップルだったり、別のご自宅別のご家族だったりをモデルとして学ぶことはできるというふうに思ってます。あと現実的なところで言ったら、結局両親と絶縁して何が困るかって言ったら、保証人がいないとか、支援措置を毎年かけないといけないとか、入院できない・・できないこともないけどやっぱり入院する時とかに「ご家族の連絡先は?」とか言われたりっていうのも、すごく面倒くさいです。両親の愛情を知らなくても別に毎日楽しく暮らせますので、どうぞ皆さん心配しないでください。 

 

IMG_3031 仲間へのメッセージ

 

周りの人とか、人当事者の人、今苦しんでない人もあのこういった事っていうの知識として学んでおいてほしいなって思います。そして情報提供してあげてほしいです。

私もそうだったんですけど、私が逃げるきっかけになった時っていうのも、ネットで全く見ず知らずの人が「あなたのをされてることあなたのあなたとあなたのお母さんがされてることは DV 虐待です」って言ってホームページだったりその情報であったりっていうの送ってくれたんですよね。それだけで本当に私の後の人生ってのも変わったので、情報っていうのはとても大事だと思っています。自分がいきなりその場に行って最後までその人の人生の全てを救う必要がないので、せめてそういう風に苦しんでいる人がいたら声をかけたりそのあなたの受けていること「あなたがされている事・あるいはあなたが苦しい原因ってもしかしてくれじゃないですか」って言うな感じで、 DV だったり虐待だったり機能不全家族だったりそういうような情報っていうのもその人に教えてあげて伝えてあげてほしいなと思っています。私が言った言葉じゃなくて路上生活支援をしている人が言ってた言葉でよく思い出すんですけど【どこかに大きな太い命綱が一本あってもそこに繋がれない人は助けられないんです。でもたくさんの細い紐がいろんな所にあったら、それを頼りにその人が自分で助かることができる。必要な支援を受けたり自分で助かることができる】というふうにおっしゃってて、そうだなって思うんですけど、みんなやっぱりなんか虐待死事件とか見てとっても憤りを感じたりとか、本当に胸を痛めたりっていう優しい方っていうのはいっぱいいると思うので、どうか学んで、そういう困っている人にその情報を与えられるように学んでいただきたいなと思っています。 

同じような体験した人に向けてというのは・・。そうですね、ひどい人間もいるんですけど優しい人もいっぱいいるなんていう風に思ってるんですね。私の場合はもう生まれた時に家の中にいた自分の親がラスボスみたいな感じで、逃げた後に出会う人のほとんどが優しいくらいの気持ちなんですよね。だからもうすごくそれは衝撃だったんですよ。

本当に「もういつ死んでもいいや」ぐらいの気持ちもあったんですよね。でも今はやっと「死ぬのが怖い」って思えるようになったんですよね。昔は本当に好きな時に好きなものを食べるとか暑い寒いとか感じたらその他とか、鼻歌を歌うとか、好きな服を着るとか、化粧をするとか、好きな音楽を聴くとか、そういうことが全然できなかったんです。

でも今はもうそういうことをしてる自分に気がついても夢見たいって本当に思うんですよね。だからたぶん大丈夫だから、どうか幸せになってほしい 。

 

 

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empower channel  #6  りりこさん インタビュー書きおこし

empower channel  #4 りりこさん インタビュー書きおこし

※インタビュアー:わねざきいくえ

 

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ー支援につながるまでー

 

 

わ)支援とか相談機関に繋がるに至った経緯を教えてください。

 

り) 最初、『 BOND プロジェクト』につながったんですけど・・LINEにボンドプロジェクトさんのアカウントが載せられてて、何だろうと思って LINE 追加したのがはじまりです。 

でもなんか追加してからすぐ相談始まったわけじゃなくて、追加して1年ぐらい何もやり取りをしなかったんですけど、1年後ぐらいにボンドプロジェクトさんのインスタもフォローしてて 「LINE 相談が始まったよ」みたいなストーリーが上がってた時に「あーそういえば」と、頑張って相談した時に、たまたま繋がって、相談が始まったみたいな感じですね。

 

わ)その時の相談内容は?

 り)最初は元もと家族にいろいろ問題があったから、その話題を出して相談始まった感じですかね。詳しく教えて欲しいよって言われて、詳しいこと話したり・・て感じですね。

 

わ)その時どんな印象を持ったか感想とか覚えてますか?

 

り)めちゃくちゃ聞いてくれる人だなって思った 。

でもなんかちょっと怖かったっていう気持ちもあったかな。LINE してる時は何も思わなかったんだけど 、LINE 終わったら、確か、ボンドあてにすごいメールを送って、、、話したことが怖くて、自分が話した内容で、すごいなんか「話しちゃった」みたいな・・・

  家族の話とかする時に愚痴みたいな感じで話したことはあったけど、大人に話すこととかは(今まで)なかったから、ちょっと・・。

しかも規模がでかい団体だったから、そうとは知らずに連絡してたけど「やばい・・」みたいな。

多分、初めて相談して、救われた気にもちょっとなっちゃって。

でもなんか会えるわけでもないし、 SNS でやるだけだったから。

確かな関わりではない感じがして、そこも怖くて。

余計に変に SOS を出したりとかもしてたし。

・・・私なんかが大人に助けを求めたらいけないんでしょうか、って(笑)

いま振り返ると「ここまで言ったら」とか「こんな態度とったらどうだろう」とか、色々あるから・・・

 

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ー追い詰められていた自分ー

 

わ)その当時のご自身の状態はどうでしたか?

 

り)当時は追い詰められてましたね。その時は普通に実家にいたんでアルバイトもしてたし、割と普通の生活を表面上は送ってた。

16歳ぐらいから(相談に)繋がって、普通に実家に暮らしてて、バイトもしてたけど、なんか、なんだろうな・・・、今に追われすぎて先が見えなさすぎてって感じで、しんどいけど、そのしんどさを抜け出せないって。多分、思ってもないけど、先入観じゃないけど、そういう感情で、ただ「しんどい」しか言葉が出てこないみたいな・・。

 

わ)当時のしんどさの源っていうのは何だったと思う?

 

り)余裕がすごいなかった。家の中では’家族とうまくやろう’ってめちゃくちゃ必死こいてて。

バイトと学校と行ったんですけど、バイトの時もちょっと、パワハラって言ったらちょっと大げさかもですけど、そういう人もいて。なんかどこにいても結構しんどくて。

でもなんか休む時間も余裕も作れなくて・・。

 

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ー家のことー

 

わ)お母さんがいるとどういう風になっちゃうの?

 

り)一緒にいるだけでしんどくなる。

実際その当時も、結構、私も(母親も)お互い傷つけ合う関係性の中にいた気がして。

 

 

わ)身体的暴力とかは?

 

り) お母さんからはなかったです。お父さんからもその時はなかったです。

 傷つけあっちゃうっていうのは、言葉。 まあ私は割とずっと近寄らないで、しんどすぎて親と話すのも嫌で、だから本当にどうでもいい話しかしたくなくて・・、

心に踏み入れたくなくなる、じゃないけど、やりたくないし。相手の方が。 

でもお母さんは多分過干渉なのもあって、自分もちょっと思春期だったし、それもあってしんどかったのかな 。

 

 

わ)それもあって家でも休めなくて職場でも色々あって・・

 

り)そう、いっぱいいっぱいになって。

ずーっとちっちゃい頃から同じ道辿ってきたから、ターニングポイントがどこにもない・ずっと同じパターンの家族との関わり方が自分の気持ちの中では葛藤してたけど、それが(家族には)伝わらなかった。

  中学くらいからは(伝えようとすることも)しなくなって、でも「家族ってなんだろう」みたいなことはわりととずっと思ってた。

 

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ー家族とはー

 り)家族って、「形」だけかなって思っていた。ただ血が繋がってる関係性かなーって思ってたかな。

 

わ)そういう風に思ってた時は、自分がなにを求めてるのか、というのは分かってた?

 

り) 求めてる感はすごくあったけど、でも、実際には何を求めてるかは、その時はわかってなくて。でもなんか中学1・2年の時は、すごい、親にこうなってもらいたいみたいなことはいろいろ考えてたかな。こう変わってくれたらいいのになあ・・とか、それはまだ思ってた時期かな 。

 

わ)それを伝えた?

 

り)伝えてなくて。うまくコミュニケーションをとってなかったから。親に何かを求めたりとかする会話ができなくて。だから多分、耐えるとか・・自分の中で自己完結・・じゃないけど、

「家族に求めてもしょうがない」、じゃあもう外の世界に行くしかないって思って、家族とは自分からめちゃくちゃ精神的に距離を置くようにした。

 

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ー家から外へー

 

わ)外に求めるっていうのは、家に帰らないとか?

 

り)そう。家に帰らないもそうだし、家出したりとか。 あとは親が見てないとこでパパ活みたいなことをしてたりとか。なんか そうすることで、なんかちょっと、家族感が出なくなるんじゃないかな・・みたいな、なんかもう「いらない」って思ってたから。家族は。 それが本心なのかわかんないけど、その時は荒れてすさんでたから・・

 

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ーひとり暮らしー

 

り)中学の時は本当にそれこそ友達の家に行くとか、男の人に会ったりとかそういうことまでだったから、高校上がって、スマホ持つようになってからは、ほとんど家に帰らなくなってた。 そんな時に『BONDプロジェクト』と出会って、ボンドは東京なんですけど地元の相談機関教えてもらって、そことも繋がれて、

そこから「一人暮らしできるよ」って言われたのが、自分の中で結構ターニングポイントだと思って「あ、できるんだ!」と思って。

「家を出たい」とか「家ではないところで生活するためにどうしたらいいんだろう」みたいなことをずっと LINE してたんで、「一人暮らしできるんだ・・てっきり二十歳になんないとできないと思ってたけど「意外とできるんだ・・」と思って。

そこから一緒に不動産屋さんに行ってくれて、その相談機関の人が、そこから話が進んでいった感じ。

『そだちの木』が4月で、実際に会えたのが6月コロナの影響で、6月7月の最初の方に一人暮らし始めてるんで、結構トントンと。めちゃめちゃバタバタしたけど。でもそれだけ一人暮らししたかったから、良かったーと思って。

 

 

わ)そこまでたどり着けた時はどんな気持ちだった?

 

り)嬉しいけど、できるかな?みたいな不安はあったかな。まだ17歳だったんで。

高校も通ってたしバイトもちょっと実家の近くのバイト先だったんで通うのも大変だし、やっていけるのかなみたいな。すごい不安はあったし。実際、精神的にも弱りかけてたから。どっかで軌道修正じゃないけど、しないとやばいな、みたいなことは、その時からずっと思ってた。

 同じ県だったし、電車ですぐ行ける距離だったし、実家と。

やっぱりなんだろうなあ・・親に全てを話して一人暮らししたわけでもないし、「課題は置いてきて一人暮らしした」んだから、その辺りが軌道修正。そうだね、6月。

なんかずっと 、なんかずっと、休む間もなく、ガーーって動いて。

でも余裕がない状態でそれをするってやっぱり心は疲れるから、一人暮らしとかも、バイトとかとか時間的な余裕もなく、心の余裕もなく。

自立したいって思ったけど実際できないなぁって。

仕事いっぱい入れるわけにも今の状態でいけないし。かといって親に仕送りとかしてもらえないし。 始めてしまったから、もう戻れないし。ある程度は続けなきゃいけない、この生活を。でもそこまで、出来るほど自立した力はないし・・・。

  

わ)仕事して一人暮らしで生活できる金を自分で稼いで・・

 

り)ひとりで生活してたら、多分、ストップが効かない、、じゃないけど、実家だったらちょっと疲れたなと思ったら仕事休んだりとかできるけど、それをすると収入が減るから、仕事は休めない。でもう結構限界。でも、どうしたらいいんだろうみたいな。

 

わ)限界というのは・・色々考えた不安っていうのが大きかった?

 

り)すごい「もう無理!」って言ってた。どうすることもできないけど、でも誰かに頼る術もないし。 『BOND』さんとか『そだちの樹』とか、福岡だったら『パープルエイド』さんと繋がってたけど・・気持ちの整理とか、あと自分が知らない情報を与えてくれたりとか、選択肢が広がったことはできるけど、やっぱり動くのって自分で。

「自分が抱えてるものを人に預ける」ことってやってないから、すごくそういうことをずっと『ボンド』とかに相談してて、なんか、なんとかく分かってきて、「あ、相談ってこういうことなんだ」とか・・抱えてるものを相談してきて、でも結局最終的に動くのは自分で、自分が抱えてるものを人が解決しようとしても、自分の人生だからできないって分かったから。



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ー支援に繋がって思うことー

 

り)支援と繋がって・・自分の人生なのに・・みんな良かれと思っていろんな選択したたぶんくれると思うんだけど、自分の気持ちに素直に相手に伝えてなかったら、自分が思ってる未来じゃないから先に繋がっていかない。

 こうなればいいなって自分の中で思ってても、絶対に、素直になれなかったら、そこで誤差じゃないけど生じちゃうのかなと思ってて。

 自分の気持ちをわかってほしいがために、起こった出来事とかちょっと変えて言っちゃうこととかって、たぶんみんなあると思うし・・そこにすごい罪悪感感じちゃう子もいると思うけど、でも、それは、最初からみんなに自分の本当のことを言う必要もないと思うし、言えなくて当たり前だけど・・

 でも、気持ちの面では「素直でいいよ」っていうのはすごく伝えたいし、自分もそれをすごく言い聞かせていつも相談とかしてて、相手に伝える時も嘘はつかない。

気持ち的に何かを感じたよっていう、考えたこと感じたこと、自分はこう思うとか・・感謝の気持ちもそうだけど、ありがとうって思ってないのにありがとうは言わないとか。 相談してるわけだから自分の気持ちに素直になった方がすごく濃い時間になると思うし。

私も最初の頃とかは結構、やっぱり起こった出来事に関してちょっと違うことを言っちゃったりとか、ちょっとオーバーに言い過ぎちゃったりとかしてそこにすっごい最初はなんか嘘ばっかだな自分でめちゃくちゃ思ってた時期あったんだけど。悪く言えば自分で勝手に決めたんだけど、気持ちだけは感じでいいんじゃないかなと思います。 

 

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ー自分を表現するー

 

わ)今りりこちゃんが教えてくれたみたいに、自分がどう感じているか・それを素直に表現できたか・ほんとの気持ちとは違う表現をしたのか・違う表現をしたんだったらその時自分に何が起こっていたのか・・。自分のなかに起こることを話していく(カウンセラーは教えてもらう)ことで、話す本人が自分のパターンを自覚したり何かに気づけたりできるよね。悲しい時に怒っちゃう人もいるしね。

 

り) そうだと思う。自分の気持ちに素直に相手に伝えるのも大事だけど、相手に伝えてたらなんか自分のことを知れる・・じゃないけど。


わ)カウンセリングでの問題解決というのは、その人の代わりに生きていくわけじゃないから直接的な解決はできない。具体的な方法は一緒に考えるけど、とにかく相手のお話や、相手の言葉についているイメージや、その奥にある意味を教えてもらうことで。こちらが理解するまで(理解のすり合わせをしながら)教えてもらうから、いろいろ聴き返して、なるほどそうだね・それはそういうことだったんだね、とか、その意味をこちらの言葉で確認させてもらうちに、話しているご自分自身の中でもいろいろと気づきが起きて、すっきりしてくるということが起こる・・。

 

り)私もそれをやってもらってます。『BOND』で。

でもなかなか継続してお話を聞いてもらえない子も多分いて。なんて言ったらいいかな、日本に相談機関いっぱいあると思うけど、大きいところから小さいところがると思うけど、大きいところはやっぱり繋がりにくかったりとかするし、なんか、すごいんだからこそ、いろんな大人と繋がったほうが使いわけれる。「ここは自分の気持ちを吐き出すところ」「こっちは自分の選択肢を見つける場所」「ここはすすめて行く場所」、一本にしちゃうとやっぱり唯一の相談場所になっちゃうからすごいそこに依存したりとか。依存したくない、依存しないでいよう、と思っても、やっぱり気持ちのどっかですごい寄りかかっちゃうから、それも大事かもしれないけど、それがずっと続くと、すごくお互いしんどくなっちゃうから、浅い依存先をたくさん見つけたらいい。

 

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ー相談することー

 

わ)自分の相談につながる前の自分と今との違いは?

 

り)前の自分はまずボキャブラリーが全然違ったかな。、言葉の数っていうか。自分の感情を言葉に全くできなかったから。相談し始めて、あ、自分は今しんどいんだとか、苦しいのかなとか。前までは全部一緒くただったんです。しんどいも苦しいも辛いも。

それが、今の感情はこういう言葉だなとか、こういう言葉が近いかなとか、まずそれがわかるようになったからコミュニケーションが無理なくていうか、ストレスフリーで、じゃないけど、それは最近体験してる。一番でかいかな、って思うかな。それが。

 

わ)すごい嬉しいです、聞いてて。アコアの自助グループでも最初の読み合わせで「言葉を手に入れる」という文言があるの。仲間の話を聞いて、彼女が言ってることは自分が思ってることを言葉にしてるなとか、あ、こういう表現もあるんだなとか。言葉を手に入れて、それを自分のものにしていくと自分を表現できるんだよね。

わたしたちが一番傷つくのは、自分自身を表現できないことだから。それは「自分が自分でいられない」っていう感覚や思考とセットになってしまうからね。

 

り)自分で自分のことを表現できなくて、言葉にもできなくて、それが結局一番伝えたかったの相手は多分親で、でもそれができなくて、家に居場所が無くなって・・。

居場所がないと一人の時間が多分好きになってきて、誰かと一緒にいるのがすごく億劫になって、そこから私の『公園生活』が始まった。

 小学生ぐらいの時に「あ、言っても伝わらないんだな」って思っちゃって。

言葉にするのって結構面倒くさかったりするじゃないですか。言葉にするってそんなに簡単なことじゃないから。その当時から大変だったんだけど、それをしても伝わらない・違っても響かない・じゃあもう言わなくていいかなみたいな、なんか、言う必要もないかなって思って。 

だからもうあんまり自分が傷つかないように、家じゃないとこで、自分と対話してて、でもずっと公園にいても楽しくないから、、都会に出たりしてました。

 

 

(ありがとうございました。) 

 

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【支援団体紹介】〜若年層支援~

『BOND Project』

そだちの樹

パープルエイド

purpleaidfuk.wixsite.com