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empower channel  #7 根来さん(30代)前編 インタビュー書きおこし

empower channel  #7  根来さん(30代) インタビュー書きおこし

★根来さんは『虐待イベント』で朗読をしてくださった「九条ネギ」さんです★

 

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(前編)

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ー家での暴力・祖母からの言葉ー

私の父も過去に親から暴力を振るわれていたそうです。そしてとても貧乏だったそうです。

その鬱憤なのか、父親が祖母や母親に暴力をふるっていました。口論なんかじゃなく「ぶっ殺してやる」といいながら祖母や母の首を絞めたり、手元にあった大きな裁ちバサミをぶん投げて、壁に突き刺さったりとかいうことが一番記憶に残っています。

周りの親族が止めるんですけど、そのうち誰もうちの親に関わらなくなりました。親族で集まるたびにそういう事件が起きるので、親族付き合いがなくなりました。

祖母が「あなたがお母さんを助けてあげてね」と最期に言いましたが、その時の私には、何もできませんでした。

 

ー面前DVの影響ー

小学校に入る頃、入学してすぐの頃は、男性の怒鳴り声を聞くと心臓がバクバクして冷や汗が出て動けなくなり、固まってしまうようになりました。後からそれは『面前 DV』 の影響だということがわかりました。

 

摂食障害リストカット

家に遊びに来た友達や先生はそんな父を見て「面白い人ね」と言いました。私自身も、学校ではどちらかというとおちゃらけたキャラでした。中学の頃には摂食障害リストカットなどをするようになって、不登校になりました。

親はそういう私に「みっともない」「情けない」「死ね」「クズ」と言いました。 

そのことを、担任病の先生に話した記憶がありません。話していないわけがないと思いますけど、話していないかもしれません。

 

ー通院していた時間ー

大人になって色々自分のことを整理したくてカルテ請求したら’原因不明’と書かれていました。親との関わりについて、ほぼ何も書かれていませんでした。あの通院していた時間は何だったのかなと思います。

 

ー周りは誰も気づかないー

そういう私のことに気づいた人は誰もいませんでした。高校生になって一回だけ別のクラスの先生が「あなたのお父さんは子離れできていない」と言ったけれど、それ以上の何もしてくれませんでした。

 

ダブルバインド・コンプレックスの塊ー 

「学校に行く奴は馬鹿」と言われます。でも「学校に行かない奴はクズ」と言います。だから不登校になったんですけど、学校に行く私に対して「学校に行く奴は馬鹿」って言うんですけど実際私が不登校になったら学校に行かない奴はクズと言って、やっぱり私を殴って首を絞めてきました。

他には、冬や夏にエアコンや暖房をつけると「金の無駄」と言います。そして私がつけないでいると「変人」と言います。だから好きだけどやっぱり金が無駄と言われてそういうことずっと繰り返されていました。あと「服がダサい」って言われるんです。でもお金があんまりないし、家は貧乏だって言われてたから父親とか母親の服を私は着ていたんです。高校の時でも、自分で本当に欲しい服が着れなかったんですよね。服がダサいと言われて、服を買おうとすると「金食い虫」って言われ。そういうことがとても多かったです。今思うと父親は多分過去の貧乏な生活があったからコンプレックスの塊だったんだと思います。

 

ー子どもにマウントを取ってくるー

小学生の私にマウントをとってくる、保育園の年長の時に書いた絵も、父の日に書いた絵が「下手くそだ」と言ってゴミ箱に捨てられました。小学生くらいになって私が国語漢字ドリルとかひらがなの練習とかしていると「下手くそだ」と言って自分がいかに字や絵がうまいか、そしていかに私が下手でセンスがないかをこんこんと言ってくるんですね、ずっと。

 

ー自慢と説教ー

それとか、自分がいかに’ものを知っているか’っていうのを、小学校1年生の私に言ってくるんです。その説教とか謎の呪文が真夜中まで続きました。小学生の時からそういう説教中なのも当たり前、でも全く意味が分からなくて、24時を超えることもありました。当時6時ぐらいに帰ってきて、いきなりその日の私の作った工作の作品だったりテストだったり漢字ドリルとかそういうものを見て、真夜中までずっとご飯も食べずにひたすら「本当にお前は絵が下手だ」「字が下手だ」「俺を見習え」みたいな説教がずっと続きました。

 

ー外部の人にもー 

私以外の人に対しても同じような態度で、家に来たセールス訪問販売の人とか、セールスの電話番の人とか、父親が対応したら、もう帰してもらえない・電話も切れないこともありました。朝に来たセールスの人が夜になっても帰れないっていうこともありました。

電話やお店で店員さんとかに怒鳴るとかっていうのが当たり前で、それを私に自慢してきたり嬉しそうに話したりしていました。一緒にいることが恥ずかしくて、もう他の人にとても申し訳ない気持ちでした。

私の母親はその父親を「そんな人だから」といって諦めていたり「もう仕方ないね」と言って、父親と一緒に笑っていました。私も変だなと思いながらも感覚が麻痺と言うか、もうそれが当たり前というか、おかしいなと思いながらも、どれだけ異常なことかっていうことがわかりませんでした。

 

ーすべて命令形ー

うちの父親が私に言う時は全部命令形で、殴られた後にぼーっとしてると「笑いなさい」とか「そんな顔するな」と言われました。風邪を引いた時も「良くなりなさい」、摂食障害になった時も「食べなさい」、全て命令形でした。

 

 

ー不安定な生活ー

そんな父親との生活は私たち家族にとってとても不安定なものでした。就職したかと思うといきなり「上司と喧嘩して仕事を辞めてきた」とか笑いながら言います。それでよく母と口論になって母親が泣いていました。

 

ー母親の変容・母への想いー

下の兄弟が生まれてすぐ頃のすぐの頃、私がまた保育園年中ぐらいの頃、一度母親が私に泣きながら「もう離婚したい」と言いました。その時私が「みんな一緒がいいな」と言ったら母親が「分かった」と言いました。でもその後どんどん母親や私への暴力がひどくなって、中学くらいで私が「もうもういいよ、もう離婚していいよ」と言った時には、母親の方が「私は馬鹿だだから離婚なんかできない」というようになってしまいました。日常的に父親から笑いながら「お母さんは本当に馬鹿な人、これも知らない・あれも知らない・何もできない」そういうことを本当に毎日聞かされていました。

母親が「もう離婚できない」と言ったことを聞いて、昔あの時私が、母親が離婚したいと言った時に私が止めたせいだという気持ちがありました。だから私があの時「離婚していいよ」って言えなかった責任として「母親を助けなければ」と思っていました。

 

ーいびつな暮らし・金銭感覚ー

父親はお金がないと言う割にいきなりバイクを買ってきました。「うちには何百万の借金があるんだよ」と毎日毎日、母親から聞かされていて、お年玉とかうちの祖父母からのお祝い金だとか、そういうものを「お父さんにあげていい?」と聞かれても「いいよ」と言うしかありませんでした。母親からいつも「うちにはお金がない」と言われました。でもそんな中でもなぜか海外旅行には行く・・。そういうとても歪つな生活でした。

 

ートロフィーチャイルド 父親に取りこまれていく母親ー

 私の手柄は自分の父親の手柄でした。それ以外のことは全部私のせいでした。いつも私のことを「クズだ」とか言う割に私が例えば成績が良かった、100点取った、そういう時は「さすが俺の娘」って言うようにそれ以外それ以外の時は「クズ」「死ね」っていうことを当たり前に言う、そういう関係でした。

’トロフィーワイフ’と言うか、もう’トロフィーチャイルド’みたいな感じで、私は父にとってアクセサリーになんだなと思っていました。私の人格はなくて、父が自分を飾るための道具なんだと、中学ぐらいの時から思っていました。

中学生の時に摂食障害になった時、病院の先生には入院を勧められました。私は家から離れたかったし入院したかったけど、なぜか父が「こんな辛気臭い娘を持ってお父さんかわいそう」「恥ずかしくて会社の人に顔向けできない」と言って、泣き出しました。私の目の前で。そして何故か母親がよしよしと父親を慰めて「お父さんを困らせないで、あんたが出て行きなさい、お父さんに謝りなさい」って言ったんですよね。私が「出て行くよ」って言ったら、「こんな娘を持ってお父さんは不幸だ」と言って「もう死ぬ」と父親が言って、それを母親が止めて、そしてまた母親が私に「余計なこと言って・・、あんたが出ていけ、あんたが謝りなさい」っていう繰り返しでした。 

いつのまにか母親も父親に取り込まれていました。父親の味方だけをするようになりました。

 

 ー精神的支配の威力ー

 ある日、父親が母親に向かって何か怒鳴って、母親を睨みつけたら母親がそれだけでぱたっと倒れました。私が成人してからのことなんですけど、その時に「あーもう無理だな」って思ったのと同時に、やっぱり自分がどうにかしなければと思っていました。

 

ー助けを求めていい・逃げていいなんて思っていなかったー

でも外に助けを求められるなんて、その時は思っていませんでした。誰にも相談できませんでした。

そもそも相談する場所を知らなかったし、インターネットもまだ昔だったから気軽に使うことができませんでした。私は仕事も行ってましたけど、そのことをわざわざ周りに話すことはありませんでした。

ただ私の職場の人も、私の頭の傷とか顔の怪我とか見てたはずなんですけど、どうしても隠せなかったから、でもその時も、なんとなく私は自分でごまかしてもいました。やっぱりそのまま話すっていうのが恥ずかしいっていうような気持ちもありました。時々ぽろっと、ちょっと喧嘩して・・みたいな感じで言ったら、ええーみたいな感じはされるけど、それだけ。あるいは同じような境遇の仲間と「むかつくよね」というだけで終わりました。 

今思ったら、私の周りは、やっぱり虐待を受けてたりする人も何人かいたんです。そういう子達とはそういう話はできるんだけど、もうみんな「仕方ないよね、むかつくよね」っていうことだけで終わって。

みんなも自分の家族に対応することで精一杯で・・みんな逃げる方法を知らなかったし、逃げられるって言うことを知りませんでした。

 

 

ー外部からの情報を得てー

二十代半ばぐらいでネットも普及し始めて、SNS を始めて「毒親」とか「モラ父」っていう言葉を知って。

最初は「そんなことはない」と思っていました。どちらかというと、自分にされたこと・過去にされたことを忘れていたり、記憶がなかったんですね。でも「父親にこういうことを言われた」「今日はこんな風に言われた」とか、「今日殴られた」とか「今日は母親がこんなことされた」「殴られた」みたいなこと書いてたら、「それもう DV だ」よって言われて・・・。私もオープンにして書いていたので、そういうことを。

そしたら気づいた方が、どっちかというと DV 被害者っていう立場の方が多かったんですけど、「あなたのお母さんと同じ状況です」っていう風にメッセージをくださって、「もう逃げていい」ってアドバイスをもらいました。  

でも、それでも、まさかと思って。そんな、逃げられるなんて、逃げ切れるわけがない、と言うか、それが本当に、その、本当に DV だったり虐待だったりだとか、逃げるほどのことだとか、あるいは、父親だけじゃなく母親とか「他の家族を見捨てていい」っていうことが、やっぱり思えなかったんですね。

やっぱり「最後まで守らなきゃ・どうにかしなきゃ」っていう思いがあったんですけど・・・。

 

 

ー家を出るー

ある日、父親が酔っ払って、母親が、パシンパシンと何回も何回も、平手うちをされてたんですよね。

私は隣の部屋だったんだけど、聞こえるんですよね。パシンパシン、ガシャンガシャンって音が。隣の部屋から聞こえるんですね。それで部屋に行って庇おうとしたら、母のところに入って庇おうとしたんだけども、逆に母親が私に怒って「父親に謝りなさい」「余計なことするなー」みたいな感じで「土下座して謝りなさい」て感じで・・・。

その時、私は、顔を拳で何回か殴られてて、片目が腫れて、潰れて、唇が切れてたんだけども、それでも母親は「あのね、お父さんはあんたのことも大事に思ってんのよ」と。

そんなわけないじゃんと思っても、「あんたが悪いから謝りなさい」って言われて、その時に、自分の中で、何かが切れて・・母親にとって私って大事な存在じゃないんだなって思って、その時にもう何かが本当に吹っ切れて・・・。

その後またSNSでいろんなアドバイスをもらって、最終的に、逃げることができました。

 

 ―家を出てから・後遺症ー

そこから一年くらい、悪夢が本当に凄かった。血みどろの悪夢でした。

自分が父親に対してだけでなく、母親にこんなにもすごい怒りを抱いてっていうことに、とても自分で驚きました。父親の事は昔から、殺し方とかも結構見てたんですけど、母親に対してこんなに自分が怒りを抱いてたっていうことに、(家を)離れて初めて気がつきました。

その時まで「私は母親を守らなきゃ」と思ってたけども、実際には母親に対してもそんなに怒ってたんだなっていうことにショックでした。

そしてひどい不眠症になりました。眠るとそういう悪夢を見るから、悪魔を見ることが怖くて眠れない。でもやっと眠れたと思ったらやっぱりすごい悪夢を見て、本当に飛び起きる感じ飛び起きて・・・

もうそういうのがずっと続いて、でも眠れない。本当にもう死ぬかと思いました。

それが1年ぐらい続いたけど、でも、少しずつ、それも減っていきました。

 

ー家を出てみて思うことー

 家にいるときは、私がいなくなったら父親が「もう自分は死ぬ」とか言ってたし、母親が殺されると・・父親に殺されるのではないかと思っていました。 

でも逃げてから数年たって一度実家を遠くから見に行ったら、外見は特に何も変化はありませんでした。

父親も、母親も、私がいなくなっても多分普通に生きてるんだなと思います。

今思うと「お前が出て行くなら死ぬ」っていうのは本気ではなくて、多分私に対するただの脅しだったんだなと思います。

だから、今、その渦中にいる方で、「自分が逃げたら、他の家族を置いて逃げたらどうなるんだろう」って、心配されてる方もいらっしゃると思うんですけど、そこは心配しなくていいんじゃないかなと思います。 

他の兄弟がいたらちょっと心配かなとは思うんですけど・・

加害者はそんな風に(死ぬ死ぬ)言うけど意外と図太いと今は思っています。

 

そしてもし私が本当に我が子を大事に思う親だったら、

自分がもし親になったらどう思うかなって考えた時に、

私が本当に我が子を大事に思うようなら、もし自分の子どもが家を出てっても、

幸せに生きていてくれいてくれたらそれだけでいいと思うと思うんですよね。 

もしうちの親が今私のことを恨んでたりとかするんだったら、やっぱり家を出て正解だと思います。

あの人たちが本当に私の親なら、今私が幸せに暮らしていることを喜んでいるはずです。

私は今後も彼らに連絡を取るつもりは一切ありません。

 



IMG_3027 あの時必要だったもの・どうやったら自分が助かったと思うか

当時を振り返ってあの時必要だったものどうやったら自分が助かったと思うかって自分をよく考えて考えるんですけど、周りの人が特にそう何もしてくれなくてもいいけどせめて情報が欲しかったっていうのは思います。何が虐待か何が家庭内暴力かその気づくきっかけというのがあったらなーって思います。家の中にずっと閉じ込められた理由で閉じ込められていたわけではなくて、病院だったり学校だったり図書館だったりっていう場所には入ってるんですよね。またしてそこで自分がされていくことに気づくきっかけ、例えばパンフレットだったり本だったりそういったものがあれば、私は気づけたんじゃないかなっていう風に思います。当時はやっぱり情報があまりにも少なすぎたし、私の周りはやっぱりその身体的暴力を受けてる友達っていうのも今思うと結構多かったんですね。で、今私がこの歳になっていろんな本を読んで、思い返せば、例えば家族に迷惑をかけてるって言う友達がいたんですね。何か・・物を取ったり、なんかバイクを盗んだり、バイクで事故したりとかってして。それで「家族に迷惑かけてる」って言われてて。友達が言っていたんだけども、よく考えたら、その子の両親っていうのはお父さんの方がアルコール中毒でその子も結局殴られてお母さんも殴られてて、それはその人なりの反抗だったと思うんだけども、そういうこととかは何も気づくことが、私も話を聞きながらも、できなくて。「ひどいね」っていうような言葉をかけるしかなくて。そういう人たちがみんなで集まって慰めあうようなことしかできなかったんです。だからなにかあの時、『家庭内暴力』だったり『虐待』とか『 DV』 だとか、そういう『機能不全家族』だったりとかっていうことに関する教育、知らせるような何かがあったら良かったんじゃないかなと思っています。

 

IMG_3029 非身体的暴力について

 

私も母親も父親から少し身体的暴力も振るわれていて身体的暴力だけで考えても,母親から暴力を振るわれてたんですけど、非身体的暴力・精神的支配だったり無力感絶望感あれば罪悪感を植え付けられたことのほうが、後々に影響を、もっと長い間影響したし、その非身体的暴力があったら暴力を振るわれても逃げられなかったっていう風に思っています。私もなんですけど、母親もやっぱり仕事をしていたんだけども、なんか「そんなくだらない仕事」みたいな感じで言われたり、仕事をしていなかったらしていなかったでやっぱり私も母親もそのことを責められたりそういう・・日常的に自分の自信だったりっていうものを奪われていく・・・ていうことがやっぱりあったと思っています。

精神的暴力っていうのはすごく実はとても強烈で、身体的暴力っていうのは、その外傷は目に見えるんだけども、そして時間が経ったら表面的に癒えるものも多いと思うんです。

けどその非身体的暴力、その支配的な言葉だったり、自分を否定するような言葉の表現だったり、そういう物っていうのは、そういうものによって身についた思考の癖だったり、その生活習慣とかだったり、自分の存在への生きることへの罪悪感っていうのが、すごく深く染みついていて、それがある限りはやっぱり逃げるって言うことができなくなるんじゃないかなって思いますね。 私の場合は感覚麻痺もあるんですけど、暑い寒いとか痛いとかっていうのがもう一時期全然わからなかったんですよね。やっぱりその我慢に慣れてるっていうところもあって今ももう親から逃げても結構時間が経つんですけど、やっぱりエアコンつけることに抵抗があったりそのエアコンつけようとしたらやっぱりそのもう本当にもう「金の無駄遣い」と言われたような言葉が頭の中で繰り返されるような事っていうのがやっぱりあるんですよね。それを一個一個打ち消していくような毎日を今もまだ送っています。

 

それを考えた時に、前にテレビで見て「あ、これだ」と思ったのが、目黒で5歳の女の子が殺された事件、野田の小4の女の子が殺された事件のニュースを見た時に「これは私と私の母親の話」だって思ったんですね。あのニュースを見た時、ご本人とか家族が病院の医師とか役場の窓口の担当の人にその暴力を振るわれているって言っても、その暴力自体は軽いものだったみたいなんですけど、でも連絡先を消されたとか、人付き合いとか食べ物を睡眠が制限されたとか「お前はブス」だとか「馬鹿」だとか「太っているとか」っていう言葉をずっと言われていてお母さんが逃げられなかったお話を聞いて・・まさにこれだなって、私と私の母親の話だ、っていう風に思ったんですよね。そのことを医師だったり役場の窓口担当だったりという専門の人に話したのに相談したのにDV だと気づいてもらえなくて、そこでこのお母さんをすっていう話にならなかったっていうのが私としてはとてもショックでしたこのままだったらうちの母親みたいな親だったり私みたいなことも歌ったりっていう人はやっぱりこれからも空くことができないと思うんですね。外傷がひどい子供たちを救おうだったり外傷がひどいお母さんとかお父さんとかも親だったり外傷がひどい人を救おうということでだったら、やっぱりこれからも救えないと思っていて、私が親から逃げる時に私に情報をくれた人たちっていうのは DV 被害者の方が多かったんですよね。その時にいろんな制度『DV 防止法』の事も少し教えてもらって、やっぱ日本の DV 防止法って遅れてるんだなーって、そういうことを自分で気づいてもらえないんだなっていうことが分かって、私はとてもショックを受けました。

 

 

IMG_3030  「家族というもの」について

 

「家族というものについて」・・もう歪というか、もう家族として機能していないのに家族という形にもはめないでほしい、家族であり続けさせようとしないでほしいなっていうふうに今は思います。私にも一応両親がいるんですけど、あれはなんかお母さんとかお父さんとかそんなんじゃなくて、生物学上の父母なんですよね。もうそういう風にしか私には思えないんだけども、「大事な一人だけの世界にたった一人だけのお父さんお母さん」とかって、そういう意味づけをされるのが本当に嫌だし、お父さんお母さんの愛情知らないと欠落した人間、何かが欠落したダメ人間・・みたいな、何か足りない人間みたいなこと言われるのが本当に私は嫌です。親の愛情を知らないっていう風に言われたりもするんだけども、そういうのって私にとっては別にもう最初からなかったよみたいな感じで、「ヨーロッパ貴族の娘に生まれたかったけどまぁそんなこと言っても仕方ないじゃん」みたいな感じなので、別に私にとってはそこは大事ではないんですね。自分がホームドラマに出るような、なんかあったかいなんか見えないっていうのは別にそこまでじゃないんですよね。すごくめんどくさいです。それによって抱えている難しさっていうのはあるんですね、例えば自分のパートナーとかにどういう言葉をかけるか、どういうイベントをするかとか、なんかちょっとぎこちない時にどういう言葉をかけて環境を良くしているか、という、そのお手本が少ないのはちょっとネックかなっていうふうに思うけども、それは別にうちの両親から学ばなくても他のカップルだったり、別のご自宅別のご家族だったりをモデルとして学ぶことはできるというふうに思ってます。あと現実的なところで言ったら、結局両親と絶縁して何が困るかって言ったら、保証人がいないとか、支援措置を毎年かけないといけないとか、入院できない・・できないこともないけどやっぱり入院する時とかに「ご家族の連絡先は?」とか言われたりっていうのも、すごく面倒くさいです。両親の愛情を知らなくても別に毎日楽しく暮らせますので、どうぞ皆さん心配しないでください。 

 

IMG_3031 仲間へのメッセージ

 

周りの人とか、人当事者の人、今苦しんでない人もあのこういった事っていうの知識として学んでおいてほしいなって思います。そして情報提供してあげてほしいです。

私もそうだったんですけど、私が逃げるきっかけになった時っていうのも、ネットで全く見ず知らずの人が「あなたのをされてることあなたのあなたとあなたのお母さんがされてることは DV 虐待です」って言ってホームページだったりその情報であったりっていうの送ってくれたんですよね。それだけで本当に私の後の人生ってのも変わったので、情報っていうのはとても大事だと思っています。自分がいきなりその場に行って最後までその人の人生の全てを救う必要がないので、せめてそういう風に苦しんでいる人がいたら声をかけたりそのあなたの受けていること「あなたがされている事・あるいはあなたが苦しい原因ってもしかしてくれじゃないですか」って言うな感じで、 DV だったり虐待だったり機能不全家族だったりそういうような情報っていうのもその人に教えてあげて伝えてあげてほしいなと思っています。私が言った言葉じゃなくて路上生活支援をしている人が言ってた言葉でよく思い出すんですけど【どこかに大きな太い命綱が一本あってもそこに繋がれない人は助けられないんです。でもたくさんの細い紐がいろんな所にあったら、それを頼りにその人が自分で助かることができる。必要な支援を受けたり自分で助かることができる】というふうにおっしゃってて、そうだなって思うんですけど、みんなやっぱりなんか虐待死事件とか見てとっても憤りを感じたりとか、本当に胸を痛めたりっていう優しい方っていうのはいっぱいいると思うので、どうか学んで、そういう困っている人にその情報を与えられるように学んでいただきたいなと思っています。 

同じような体験した人に向けてというのは・・。そうですね、ひどい人間もいるんですけど優しい人もいっぱいいるなんていう風に思ってるんですね。私の場合はもう生まれた時に家の中にいた自分の親がラスボスみたいな感じで、逃げた後に出会う人のほとんどが優しいくらいの気持ちなんですよね。だからもうすごくそれは衝撃だったんですよ。

本当に「もういつ死んでもいいや」ぐらいの気持ちもあったんですよね。でも今はやっと「死ぬのが怖い」って思えるようになったんですよね。昔は本当に好きな時に好きなものを食べるとか暑い寒いとか感じたらその他とか、鼻歌を歌うとか、好きな服を着るとか、化粧をするとか、好きな音楽を聴くとか、そういうことが全然できなかったんです。

でも今はもうそういうことをしてる自分に気がついても夢見たいって本当に思うんですよね。だからたぶん大丈夫だから、どうか幸せになってほしい 。

 

 

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