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youtube『empower-channel』のブログ・・DV・虐待・性虐待・性暴力・二次加害・人権・トラウマケア・エンパワー

empower channel  #5 もまい さん インタビュー書きおこし

empower channel  #5  もまい さん(30代) インタビュー書きおこし

※インタビュアー:わねざきいくえ

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ー家族ー

 

も)もの心ついたときから、家の中では、母親と父親はけんかをして、ストレスは

4人姉妹の長女である私に矛先がきてたりというものあって…、もの心ついたときから虐待の環境で育ってましたね。

 

わ)それは姉妹で一番上のもまいさんが一番影響を受けてた感じですか?

被害から守ってくれる大人は?

 

も)いなかったいなかったですね。やっぱり、今だからわかるんですけど、父親も母親も機能不全家庭育ちで、それが当たり前。

じいちゃんもばあちゃんも、見て見ぬふりじゃないですけど、当たり前やろ,と。

逆に、何がおかしいと?みたいな・・

 

 

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性的虐待

 

も)母親が離婚した時、そんなにすぐ経たない間に、男の人が出入りしだして…、

母親の彼氏だったんですけどその母親の彼氏には性的虐待を受けてたりとかしました。

 

わ)何歳ぐらい?

 

も)10才。小学校4年生の時ですかね。

 

わ)小学校4年生じゃ何もわからないですよね…

 

も)何も分からないですね。自分の身に何が起こっているのかとか。

わからないんですけど、なんかこう、気持ち悪いことをされてるとか、いけないことをされてるっていう・・認識はあったけど、どうしたらいいか分からない。

 

わ)今お話しくださったのは、最初に被害にあったときのこと?それとも重ねていって、困りだした最初から?

 

も)やっぱり段階があって。最初はお風呂に一緒に入るとか、一緒に入る約束もしてないんだけども、自分が入ってたらあとから勝手に入ってきたりとか、それからなんか体を洗ってあげるとかで、体を触りだして、次は布団の中に入ってくるとか、そういう段階が結構あったうえでの、最終的にはもう全部やられてるみたいな感じですね。

 

わ)そうだよね、一緒に暮らしてる人だから、そういう日常の中の関わりの中で、段階をおってすこしづつどんどん距離が近づけられたら、それが暴力だなんて分からないよね‥‥

 

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ー最初のSOSー

 

わ)SOSについて教えてください。

 

も)最後までやられるまでの段階で、母親に、なんか触られるんだよね、きもちわるいって伝えて・・

 

わ)お母さんに伝えた・・

 

も)(性的虐待は)小学校4年5年になってから中学2年まで続いた。

母親に言ったのは、5年生くらいに上がるか上がらないくらいか。

「それはあなたが可愛いからよそれぐらいで」みたいな感じであしらわれた記憶があるんですよね、いろんなとこ触ってくるくらいしか言えなくて・・

 

 

ー2回目のSOSー

 

も)で、だんだんエスカレートしてほぼほぼ全部やられてる時に、次はばあちゃんにいってみようと、そしたら「そんなことばあちゃんに言われても困るから母さんに言いなさい」と。

 

わ)・・・ちゃんとSOSをだしたのにね、、

 

も)そうですね、けっこう勇気がいりましたけどね、あれは・・

勇気を出して助けを求めた結果、たすけてもらえないことが続くと、 無気力じゃないけど無力感、もうなに言っても無駄・・

 

わ)やめてほしいことが続いてしまって、誰も辞めさせてくれないから困ってたわけだもんね、小学生で・・。 勇気を出したっていうのは、どういう勇気だったのかしら、なんですぐ言えなかったんだと思いますか?

 

も)なんていったらいいかわからない。どういう風に表現したらいいかわからない。

あたまとかうでとかあしをさわられるだけじゃなくて、水着でかくされている場所を触られるっていうのを、どう言えばいいのかわからなくて・・しばらく考えていた。

とにかく「いろんなところを触られて気持ちが悪いし、風呂にも勝手に入ってくるのがいやだ」と訴えはしたんですけど・・。

 

わ)で、ばあちゃんに伝えても、ばあちゃんは自分が困るから自分でお母さんに言えって言われて、絶望だったってことですよね・・その後は?

 

も)誰にも助けを求めなったですね。

それぐらいから私自身の様子がおかしくなって、急に太りだしたりとか勉強を授業についていけないのかと、学校の先生からもあんまりよく思われていなかった、人とコミュニケーション訳が分からんけど先生も理由がわからないけど、あんんまし可愛くない生徒、明るくないししゃべらないし。

 

わ)それも全部暴力の影響だったんだよね。今思うと虐待の影響なんだけどね・・

中学に入ってから先生に話した・・

 

も)性的虐待は中2まで続いて、当時の部活の顧問の先生が一番ちょっと話しやすそう雰囲気だったから、もう一度勇気を出して話したら、先生が親に連絡してくれた。

親が学校に来て先生と話をして、先生から親に言ってくれた。

 

 わ)お母さんに先生から話をしてくれて状況は改善されましたか?

 

も)男自体はいなくなったので(家を出ていったので)。

被害を受けることはなくなったんですけど、(母親は)ケアとかフォローが全くなく、日々なにごともなかったかのように日々過ごしていくという・・ 

先生の前では泣きながら謝ってはいたんですが、家ではそういう感じでした。

性的虐待は一旦そこでおわった。

 


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機能不全家族

 

 

わ)家にそんな暴力があって、家は安全な場所じゃなかったですよね、

もまいさんにとって自分の家ってどんな感じでしたか?

 

も)うちは自分の家族とか親とかじいちゃんばあちゃんも含めて’おかしい’っていうのは早いうちから分かってて、完全に洗脳されているわけではなかったですけど、

他の友達の家とか他の人の家とか家族とか見てたら、あきらかにうちがおかしい、とにかくうちがおかしい、としか思えなかったというイメージで・・

 

 

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ー交際相手・結婚・離婚ー

 

わ)それで外に出るようになったり交際相手、自分の恋人とかそういう関係性っていうのを持つようになったんですね。

さっきお話してくださった寂しさから、とか、あったかい家族がほしいとか、そのあたりについて教えてもらえますか?

 

も)やっぱり(家族に)嫌悪感がある分、理想化がすごかったんでしょうね。

家族に対しての自分が作る家庭に理想がすごかった。

ただ理想といっても、ただ普通に平凡、自分が与えられなかったものを・・

普通に、お父さんとお母さんと子どもがいて、ただ普通のことを求めていたんですけどやっぱりなんかうまくいかなくて・・

 

わ)それはパートナーとか恋人との関係性がうまくいかないのが繰り返される感じ?

「似た者同士」っていうのは、相手も恵まれない環境で育った人っていう

 

も)それでやっぱ最初は意気投合するんですよね。

最初はそうなんですけど、それでまあ私もまだ何も知らないときだったので信じるというかこの人だったら、自分がされた自分がつらかったことを人にするわけがないと、やっぱ思うじゃないですかやっぱ・・。結婚すると男の方は自分が育ったようにするし、DV家庭に育てば父親のように暴力をふるうとかそういう人とか・・。



わ)結婚相手とか恋人からも暴力 DV があった?

 

も)16でできちゃった結婚をして1人目を生んで、18で離婚して、25で再婚して2人目ができてスピード離婚して×2になった。

 

 

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ーサバイバーの子育てー

 

 

わ)子育てはどうでしたか?

 

も)自分は親みたいになりたくない思えば思うほどきつかったですね。

最初は特にきつかった。モデルがないので。どうしたらいいのかわからない。

子どもが自我を持ち出したときにそれがわからない。

ただでさえ母親は大変なことはあるのですがイライラしたときとか切羽詰まった時に自分をどうしたらいいかわからない。

 

 

ー支援・相談ー

 

 わ)そういう時は誰かに助けを求めたりしましたか

 

も)求めなかったですね、逆に怒られそうな気がして・・自分が子供にこういう対応をしていることとか。相談先に。子育て支援とか。説教されるような気がして。

話はその時うんうんと効いてもらっても電話を切ったらいつもの日常に戻るので・・

どう解決していったらいいかわからない、その繰り返し。

 

 

 

ー二次加害ー

 

 

わ)実際そうした(説教のような)二次加害的なことはありましたか?

 

も)友達とかカウンセリングとか、つらいって言ってたんですけど「母親なんだからしっかりしなさい」とか「母親は強くならないとだめ」「子どもを育てていかなくてはいけないのに」とか・・、 

 

わ)追い詰められてく・・どうやって抜けた?

 

も)抜けられなかったですね・・。矛先が自分が子供にしか行かない状態になる。で病んでいって。殴る蹴るの虐待のようなことはなかったけど 反抗期の時は喧嘩で殴ったけど、自分に矛先が向いてて摂食障害が酷くなったりとか。結局どこかに出ますね、それは。ギャンブルはしないし薬物もしないし、けど結局摂食障害にいってそっちに依存してしまった。

 

 

 

摂食障害

 

 

わ)娘さんが生まれる前から?それとも育児中に?

 

も)元々摂食障害はあった。小4、性的虐待を受けてすぐに太りだした。そこが過食のはじまり。 妊娠中はやめられたりしたが、付き合いは長い。

 

わ)摂食から抜けられてる感覚があったら教えてください。

 

も)自己理解とか。子育てもいまは多少余裕はできたいので(1人目の子とは)年齢が当時とは違うから。支援とのつながりも当時とは違う。

 

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ー回復についてー

 

わ)誰かと一緒に考えてくれる仲間とか、つながってたらもっと回復が早いんじゃないか(とうことですね) もまいさんにとって回復ってどんなイメージですか?

 

も)回復は・・。虐待を受ける前の自分に戻ることは無理なので、振り返ったりとか記憶は残っているの何がで完全に忘れることは無理でも少しづつでも乗り越えてうまく付き合っていくことができたら全然ちがったけ違った景色が見えると思う。

 

 

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ー虐待の後遺症ー

 

わ)虐待の影響として大きい物ってなんだと思いますか

 

も)私の場合は、大きくいうと人間関係に影響が出てる。

ダメージというと、そのご後の人生とかも。人が信用でき人が信用できないとか・・。

100%信用できる人はいないとは思うんですけど、疑ってかかるというのはある。

 


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ー一緒に学ぶことー 

 

わ)一人で(回復について)勉強したり、考えたり、整理をするのは大事だけど、やっぱり一人だと限界があるんじゃないかと思うのですが、「一緒に」っていう気持ちには、昔からなってましたか? 

 

も)ひとりで頑張った経験しかなくて ひとりでいける、と、思ったりもするけど、

でもやっぱり時間のかかり方とか回復の仕方が全然違うとおもう。

その間、何ができたのかな、とか、好きなことできたんじゃないかなとは考えます。

 

 

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インナーチャイルド

 

わ)もしもまいさんが小さな子達に SOS を求められたら最初何て言いますか

 

も)話をとりあえず話は聞きます。声をかけてすぐにはなせなくても、一緒にいていてあげることですかね。

 

わ)うん。その子が私たちに話をしてくれる時には、その子がここまで来てくれて言葉を自分の口から出すまでに、どんな時間と思いを一人でその子が抱えてるのかって想像できるよね・・・、

ひとりで、小さな胸に抱えるには大きすぎる重すぎる。 

そこに来てくれて話そうとしてくれただけでも、頑張ってくれたんだよね。

そういう理解を持てる大人が増えていけば公衆衛生上虐待とか暴力の被害とか、

被害はずぐに全部がなくなりはしないだろうけど、被害の影響とかは少なくなっていくんじゃないかなって・・早い解決につながるかなと思う。

今日はこうやって話してくれて本当にありがとうございます。

私たちのインナーチャイルドにもちゃんと寄り添っていこうね。

 

 

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ー仲間へのメッセージー

 


わ)同じように助けを求めても助けてくれないっていう状況にある子どもたち若い子たち、後遺症や影響を抱えながらパートナーシップや子育てに困難を感じている仲間の人たちにメッセージをお願いします。

 

も)まずは、私の時とは違って今はネットとかツールがあるので居場所がないとか話をただ聞いてもらいたいとかでもいいし助けてほしいでもいいけど当時は、支援に繋がってほしいです。世の中には弱みに付け込む割やつもたくさんいる。

後遺症など影響が出てる人は確かに不便なこともあるとは思うけど、だからと言って自分自身のことをダメとは思わないでほしいし、その都度一緒に考えていきたいと、思います。

 

 

 

 

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empower channel#4  Sさん(後編)インタビュ-書き起こし全文

empower channel #4 Sさん インタビュー書きおこし(後編)

※インタビュアー:わねざきいくえ

 

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わ)所得が多かったから気付かなかった税金のこと教えてください。

 

S)控除のことですね。

元々仕事を一生懸命やってたので、所得がその時は、多分普通の一般女性に比べると多分倍ぐらいもらえてだと思うんですけれども、息子の病気をきっかけにフルで働けなくなって パートに変わったんですけれど・・・

 

そのまま年末調整をする時にチェックをする項目の中に「寡婦」っていうところで「死別か離別か」っていうのがあって・・・

 

私はそれに当てはまらないのでチェックをつけないで本社の方に出してたんですけど、そしたら本社の方から連絡があって「お子さんいますよね」って。

子供の保険証も一緒にあるので「死別ですか?離別ですか?」って聞かれたんですけど「どっちでもないんです」っていう話をして、

「どっちでもないってどういうことですか」「なんでそうなったんですか」とか色々聞かれて、

「それって話さないといけないことなんですか?」っていう風なやりとりになって

「そもそも寡婦控除ってだいたい何なんですか?」っていう話になったんです。

 

訪ねてきた経理の人も、それはよくわからないらしくて「じゃあ死別でも離別でもないんですね、じゃあいいです」みたいな感じで終わってしまって。

 

そこから「あれ?寡婦控除ってなんだろう」って思って、自分でインターネットで色々調べるようになったら、

寡婦控除を受けられるか受けられないかで35万とかのその控除があるって言うことを知って、それが所得税とか住民税とか非課税世帯になれるか・なれないかっていうのにも直結してるんだっていうことがわかって。

 

1日でも籍入れて離婚したら寡婦控除適用なのに、子供がいるのにただ籍を入れてなかっただけでその対象にならないっていうことに、すごく疑問を持って・・どうしようって思ったのが、まずきっかけです。

調べていく中で署名活動をしているサイトっていうのを見つけて、とにかくその思いの丈をぶつけようって風に思って署名を書いて立ち上げたのがスタートになります。

 

 

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ー署名の立ち上げー 

 

S)未婚のひとり親に寡婦控除が適用にならないっていうところに、すごく疑問を抱いて色々調べていくうちに、

寡婦控除を未婚のひとり親にも認めよう」っていう風に活動されている団体さんとか政治家さん達がいらっしゃって、

自分が立ち上げた署名の URL をメッセージと共に、もうとにかく手当たり次第、

1日に20人30人、あらゆる手段を使って 、Facebook であったり Twitter であったりブログであったり友人を介して広めてもらったりしながら、ひとり親のそのサイトみたいなそのコミュニティみたいなところでシェアをしていったりとかをしていって。

 

最初は全然署名も集まらなかったし賛同もあまり得られなかったし、政治家さんたちにメールを送っても送っても、一向に返事は誰一人もなくって。

 

その中で署名を見て賛同してくれた方のコメントが、、、

やっぱり、私は無知で、ゼロから始めたのであまりよくわからないまま感情のままに署名をばーっと作ってしまったので、、

「ここはこうだよ」とか「これはそうじゃないよ」とか結構適切なコメントくれる方が、少ない賛同者の中だからこそかもしれないんですけどすごくいらっしゃって、

そこで私が署名の中で進捗状況とかコメント欄とか返信とかのやり取りの中で、色々また作り変えたり変えていったりとかしてたんですよね。

 

 

そしたらその中で、ある方とつながって、

その方がまた別のことで某新聞社さんから取材を受けたことがあって、その取材を受けた新聞社の方を紹介してくださって。

それからその新聞に取材をしてもらってそのことを記事にしてもらえたんです。

 

これも本当にタイミングだと思うんですけど、国会の議論の中で「未婚ひとり親も寡婦控除に加えた方がいいんじゃないか」っていうような動きがずっとあってたっていうのも、一つのその新聞に取り上げられた理由だったと思うんです。

 

そうしているうちに、私が、多分何百人ってメッセージを色々送ったと思うんですけど、唯一まともに返事をしてくれた議員さんが一人いらっしゃって、

その方がたまたま与党の方で

「未婚ひとり親にも寡婦控除を適用しましょう」

っていうのを推奨しているところの議員さんだったんです。

 

そこからまた話が発展して、その方は地方なのでこっちに来ることが難しいということで、同じその政党のこちらの県出身の議員さんを紹介してくれて、その方との会談の場を設けてくださったり、、、そういう風にしながら、署名の中身を、いろんな方からのコメント頂いた中で作り変えていけば行くほど、どんどんシェアしていただく回数が増えていって、どんどんどんどん署名の賛同者数が、、

最初は3人とか8人とか50人とかだったのが1000人になり5000人になり1万人になり・・となっていって。

 

そういう中でその賛同してくださる団体さんもいて。

 

私は署名が集まって「じゃ提出に行こう」ってなったとしても「訴えかけよう」ってなってもお金がないので「東京に行って署名を提出します」とかっていうのができないので、それを、賛同団体の方であったり、、、

 

たまたまその署名活動を行ったサイトでも今取り上げられている寡婦控除についての問題についてはやっぱりちょっと取り上げたかったっていうところもあったみたいで、

そのサイトの方も協力してくれるっていう幸運もあって、、、

また、東京に住んでいる未婚ひとり親の方も「じゃ私の代わりに署名を届けてあげます」って言ってくださった方もいて、、、

 

国会でその税制会長さんに対して、その署名を届けたり、厚労省とか、財務省とかにも署名を届けたり。

 

それに対してその記者会見をするっていうところでは、私のコメントを代表して東京にいらっしゃる未婚ひとり親の方が発言してくださったりとかして私の代弁になってくださる方とか、署名を作るにあたってその文章を一緒に作り上げてくださった方々がいて。

 

もう本当に幸運が重なったっていうのもあって、今、成功と言うか、署名を提出して翌年に所得税法の改正、その翌年に住民税上の方の非課税世帯に対することに対しての改正とともに、当初、所得税法が改正される時には、寡婦控除という名前は変えない、と。ー私は「ひとり親控除」というふうにしてほしいっていうのも一つの訴えではあったんですけどー その時は「ひとり親控除」という名称は使わないけれども、所得税法とその男女のその所得の差をなくすっていうところだけでストップしてたんですけど。

そのまた翌年に住民税であったりとか、要は非課税世帯にも未婚ひとり親も含めると。

 

それに伴い「ひとり親控除」という控除名を設立するということが決まったので・・

署名を開始して提出するまでがだいたい一年半近く。

署名を提出してからこの全て私が訴えていた所得税法・住民税・男女平等・ひとり親控除という名称っていうものが全て叶ったのが、提出してから2年後という形になるので、トータルすると4年半ぐらい。  

 

やっぱりいろんな人からの助けがあったりとか、メッセージとか応援してくださる方とか同じ境遇の方のコメントとか「お互い頑張りましょう」とか「応援してます」とか、

私が無知がゆえに始めたことに対して「そう書くとこういう風に取られるからこういう風に書き直したほうがいいよ」とか、たくさんの人のアドバイスと応援があってたので、自分ひとりで出来たとは思ってなくて。

 

多分ひとりでポツンとやってるだけで、コメントも読まずにただ突っ走ってたら絶対こんなことにはなってない。

 

一人賛同してくれても5人賛同してくれても、

コメントがひとつついた、みっつついた、10個ついた、と、

全部に目を通して全部に返信をして、

その中で文章がまとまって、

分かりづらかった人に伝えにくかった・理解してもらいづらかった文章が、

人に理解されやすく・いかにわかりやすく端的に何を訴えてるのか、っていうのを、

見てもらえる・読もうかなと思ってもらえる署名にすることができた。

 

それは本当に皆さんの助けがあったからだと本当に感謝してます。

 

 

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わ)署名を立ち上げる前と後で、ご自身は何か変わりましたか?

 

S)やっぱり「未婚ひとり親」ってものすごく世間体的に立場が弱いというか、悪いことというか・・・

実際言われたことでもあるんですけど「アバズレ」とか、

ちょっと言うのが嫌なんですけど「股が緩い」とか、

「誰にでもやらせるんだろう」みたいなのとかっていうのがあって。

 

実際、自分にもそういうのがあって、

やっぱり「恥ずかしいことだ」ってずっと思ってました。

 

私は自分の周りに未婚ひとり親が一人もいなかったのでホントつらかった・肩身が狭かった・堂々と表を歩いちゃいけないんだ、と思ったんだけど・・・。

 

賛同して下さって、その上コメントを下さった方々が

「実は私もなんです」とか、もしくは、僕も実は婚約してた彼女がいて、お腹に子供もいたんだけど交通事故で彼女が亡くなられたそうで、お子さんは生きてたらしいんですが、そうした未婚の父子家庭の方もいらっしゃって。

 

もしくは「自分が子供が産まれないんだけど養護施設から子供を引き取って今一生懸命育てにかわいがってるんです」とか、

そういう方達にも、もちろん寡婦控除は適用されないので、やっぱり税制の上ですごく差別を受けていた。

 

特に男性に関しては、所得制限とかも厳しかったみたいで、

本来の寡婦であった離婚して旦那さんが若奥さんを引き取った寡婦だったとしても、

その控除額の差っていうのもあったりとか、

所得によってとかがあったみたいなんですけど、

そこが全て、未婚であろうと母子であろうと父子であろうと離婚であろうと引き取って養子を迎えた方であったとしても平等になったっていうことで。

 

その他の賛同した方が、他の方のコメントを読んで

「自分だけじゃないんだ」

「意外とこんなにいっぱいいるんだ」

って・・そんなにいっぱいいると思わなかったです。

 

自分が想像してなかった境遇の方、

自分が女性の体で生まれたけれども男性の気持ちを持ってらっしゃる方とか、

逆に男性に生まれたけれども心が女性ですごく子供が欲しいって言う方とか、

ほんとにもう同じようにその未婚ひとり親同じように除外されてたんですけど、

でもそういった方でも一人で子供を育てていく大変さっていうのは、やっぱり変わらないので、

そこが平等になった事っていうことはもちろんなんですけど、

「自分だけじゃないんだ」って思えたのがやっぱり一番大きかった。

 

それからは「私、未婚ひとり親なんです。」って堂々と言えるようになりました。

 

 

 

 

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empower channel#4  Sさん(前編)インタビュ-書き起こし全文

empower channel  #4  Sさん インタビュー書きおこし(前編)

※インタビュアー:わねざきいくえ

 

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わ)なかまへのメッセージ

 

S)少し前までは、養育費を取ることってのはもう本当に逃げ得で、諦めるしかなかったけれども、今は確か去年の法改正で、養育費を受け取れる手段ができたんですよ。相手を追えるような仕組みができたので、怖がらずに、相手が暴力があったりとかは、その子供のことで会わせたくないとか、その接点を持ちたくないと思ったとしても、

お金って絶対将来子供のための教育にかかってくるものなので、そこはその回避できる手段、相手にも知られないでできる手段が今あるので、そこは怖がらずに頑張ってチャレンジして欲しいし、私がやってきたことで力になれることがあるのであれば、一緒に相談に乗りながらでも、行動に移して行ってもらいたいなと思います。

 

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ー強制認知と養育費請求ー

 

S)まず昔の共通の友人がいて、その人がどうもそのどこどこ県に住んでいるらしいよっていう話を聞いてて、そこで相手の戸籍を取るのが、相手の戸籍のあるところでしか取れないので、一か八か、その戸籍の附票を取る手続きを郵送でやったんですよ。

そしたらそれが取れて、そこから戸籍が実はこうこうこうでみたいなお話から、その戸籍を取ることに、多分たまたまなのかもしれないですが、役所の方の対応がすごく良かったからかもしれないんですけど、そこで戸籍を取ることができたんです。

で、その戸籍を取ったら、そのま転籍と除籍を繰り返して、戸籍に離婚歴とか未婚で認知してる子供がいる、子供が二人いることとかっていうのが載ってない状態で結婚してることがわかったんですね。

そうすると、その結婚相手のご両親の住所っていうのが載ってるんですけど、そこをネットで調べたら、たまたま出てきたんです。

それがあって、初めてその住所宛に裁判を起こすということで、裁判所に自分の住んでる県のところに調停申し立てをしました。

そこでまず、その強制認知の手続きっていうのをしたんですけど、その時、相手方は実は来なかったんです。

で、来なかったんですけど、その時から弁護士を立ててきてたので、一度も来てないんですけど、その裁判官と、私のメールのやりとりとかっていうのをずっと私は残してたので、8年前の出来事で、実際本当に自分の子じゃないんだったら来れるんじゃないか、という、出頭命令を相手に何度か裁判所が出してくれて、来ないっていうことは、認めたくない、でも弁護士は寄こしてる、だから自分で本当はそうだったとわかっているんだろうということで、結局それで、DNA鑑定をするっていう話になったんですけど、それを回避するならあなたを父親として認定しますよ、というような形の判決が降りて、そこは認知が確定した後、その後すぐに、養育費の調停を起こしました。

向こうはもうずっと弁護士をつけていたんですけど、ちょうどその時は私も署名の最中だったんですけど、それもちょっと終盤に近づいてきてる頃ぐらいだった頃の養育費調停の申し立てだったんですけども、もう相手は弁護士つけてたので、所得だうんぬんなんていうやりとりとかっていうのを、電話調停っていって、結局その自分の住んでるところではなくて相手の住んでる裁判所でやりなさいという移送命令っていうのが出て、相手の方に裁判官・調停員・弁護士・本人とかがいて、私1人、自分の住んでるところの裁判所に一人で行って、電話会議みたいな感じの裁判調停になったんですけど、ずっと調停員も、やっぱり会ってる方で、弁護士がついてるほうの方の言い分を目の前で聞いてるからなのか、向こうにずっと肩入れをしてるような状況で、結局2年近く月に一度の調停で、調停がまとまらずに、私はずっと一人で毎回調停に行く、向こうが弁護士と一緒に裁判所に行って調停員と色々話しする。で、その話を元に、私と電話を調停員がするみたいな感じだったので、結構その、辛いこととか、嘘言ってるんじゃないかとか、本人はそんなつもりで言ったわけじゃないって言ってますよ、みたいな感じで、相手側擁護な感じだったんですけれども、結局調停は不成立に終わって、審判に移行っていう形になって、その時に私は心療内科も一年半ぐらい通ってて、まだ働くことに対しての許可が下りてないので、診断書とか昨年度・前々年度・前年度とかのその所得証明とか、向こうの前妻の子に対しての養育費を払ってないことの事実みたいなのを、以前、前妻の方とメールのやり取りをしてた履歴とかも残ってたので、そういったものとかも全て揃えて、審判の反論書面として、双方お互い出しなさいみたいな風になって、自分でそれを、全部、反論書面を A 4のルーズリーフ2枚くらいとと証拠とかを色々添付して送付したんです。

で、そしたらその審判の時に、反論書面が向こうに届いて、双方で、裁判官が一応こういうふうにします、みたいな感じで言ったものがあったんです。

ただそれはちょうどその昨年の12月が相手側のボーナスが出る直前だったので、向こうはそのコロナで収入が減ったから払えないとか、俺の子じゃないとか、もうなんか色々言ってたんですけど、払っても15000円だとかなんか色々言ってたんですけど、何でしょう・・、その相手側の言ってるそのことに関して、それが本当かどうかっていうのが12月の賞与で決めましょうみたいな話になって、そこで一旦終わってて、相手方はこう言ってる・私はこう言ってるってのを双方に伝えられて、さらに反論はその場でありますかみたいなのがあったんです。

そん時に相手は色々わーわー言ってたのは、その時だけ初めて、その向こうには電話の向こうには相手側も弁護士もいる、今まではいなかったんですけど、その審判の時だけはもう全員で電話っていう風になってたので、相手の声も聞こえるみたいな感じで、わーわー言ってたんですけど、そこは最後の最後になって裁判官が「あなたの言っていることは単なる憶測とかその想像とかその自分を擁護する言葉を言っていただけで、ひとつもその証拠を示すものがない」という風に言ってくれたんですね。

私に対してそれでいいでしょうか、っていうことで、相手側の賞与明細が出て、そこで「審判を行います。今のところの予定では計算式はこうこうです」というような形で、その調停を起こしたときが月末だったので、その翌月から結婚してないまでの間の期間、相手が再婚してないまでの期間、再婚てのはその前妻、私は抜けてですけど、の期間で再婚したんだけど、再婚相手が働いていた期間。で、相手の配偶者がその仕事を辞めてからの期間ということで、その三つも金額が出たんです。

それに対して、私は友人からお金を借りてたこともあったので、なるべく早く返したいので、そこは一括でって言う話だったので「すぐ返したいので一括でお願いしたい」っていう風に言って、それに対してまた相手側からそのこれに対しまた反論署名を出すっていう話になってその場は終わった、と言うかこれにてもう終了です、と言われて。

その後は「相手側の賞与が明細が出次第、こちらが審判を行って、後は通達するのみになるので、もうこれで裁判所に来ていただくことがありません」っていう形で終わってしまいました。

なので、どうなるのかわからなかったんですけれども、結果、その相手方の給与明細ではこちらにも届くようになってて、結局コロナ前と変わらなかったっていうこともあって、向こうは減額請求を裁判官が言った金額からの更なる減額を申し立ててたんですけれども、それは却下されて、その審判の反論書面を提出した時の金額できちんと決められたので、そこは良かったなと思います。大変でした。

 

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ー未婚ひとり親になるまでの経緯ー

 

わ)お付き合いし始めて、その前妻とのことで暴れたり荒れたりしていて自分の子供と会えないから家庭を作ろうっていうことで彼のほうが積極的に家族を作ろうみたいに言ってきてたっていうことですよね。そこから呼びつけられることが多かった、その辺り教えてもらえますか?

 

S)つきあい始めたきっかけっていうのも、相手が離婚してすぐぐらいの頃で、それまでは、その共通の趣味で繋がってはいたんですけど、挨拶する程度だったんですけど。

別れてすぐぐらいからすごく猛アピールが始まって、ちょっとそれに動かされてお付き合いをするようにはなったんですけど、まだその付き合いも半年ぐらいだったし、その前妻との子さんのこととかも話は一応聞いてたので、そこのところはちゃんとするっていう約束でお付き合い開始したんですけど・・・向こうがすぐ子ども家庭を作りたいっていう気持ちがちょっと強すぎたので、一旦冷静になりたいから、っていうことで一旦離れることにはなったんですけど、それでも向こうから色々・・復縁しようっていうふうに呼びつけられることが多くて、それに対応している間に、まだ前妻とのお子さんのことですごくトラブルが、ずっとより一層激しく続いてたらしくて、どんどん、向こうの家のふすまとか部屋がどんどん汚くなったり破れたり傷つけられたり汚い部屋になっていって、不安を抱えて・・離れましょうっていう話には一旦なりました 。

 

ー性暴力ー

 

わ)不安になっているなか、彼に呼びつけられて性暴力が起きたということですが、その辺りのことをお話していただけますか?

 

S)多分その、憂さ晴らし的なものだったと思うんですけど、向こうは家族を作ろうって言うので頭がたぶんいっぱいで、「無理やりでも子供ができれば結婚してくれるだろう」っていう考えがどうもあったみたいで、それで、私はただ単に復縁の話をもっかいしてくれないかみたいな話って言っただけだったんですけど、またそこでもちょっとお断りと言うか、もう少し様子を見て友人を続けた方がいいんじゃないのかな、っていう話をしようと思ってたんですけど、向こうは子供さえできれば結婚してくれると思ってたみたいで、それで無理やり車の中でされました 。

 

 

ー妊娠発覚ー 

 

わ)その後、身体に違和感を感じて、産婦人科に行って妊娠してることが分かって、それを産婦人科さんがお母さんに電話をして話してしまった・・。妊娠がわかってお母さんはどうだったんですか?

 

S)付き合ってる人がいるのは知ってるけど「お前妊娠したの」って聞かれてて、それから「どうするつもりなの」って聞かれたので、その時は相手の結婚願望がすごく強かったので、まだその子供がその中で着床してるみたいなこと言われたけど心音はしてないって言われたからまだわからないし、

もし、できてるのであれば結婚すると思うから、その時は挨拶に連れてくるね、っていうふうにその時は言ってとりあえずはおさまりました。

 

 

ー子父の反応ー

 

わ)その男性(子父)に対してはどういう風に伝えて、何ていう返事になりましたか?

 

S)向こうは家族を作りたいって言うのがやっぱり大きかったので、「もしかしたら妊娠したかもしれないっていう違和感があるんだけど」って言った時は、すごい大喜びして、産婦人科に一緒に行くってなって、で、一緒に行ったんだけれども、まだ着床はしてるけど心音がしてないっていう話で、また10日後に来てくださいっていう感じで、その時は相手は大喜びでした。

 

 

 

わ)大喜びして婚約届を持って親御さんに挨拶しにいき、結婚しようという流れに。

でもその時にも前妻さんとのトラブルはあって、子父が前妻に「結婚する人が出来た」ってことを伝えたら「じゃあ自分の子供とは会わなくていいでしょう」って言われたということですよね。彼はどういう風になりましたか ?

 

S)まだ見ることのないそのお腹にいる子よりも実際自分が四年間一緒に住んだ娘の方がやっぱり愛情があるから、喜んでたんだけれども、その話になった途端に、「自分の娘に会えなくなるぐらいだったらお腹の子にはやっぱりいらない、おろしてくれ」っていう風に言われました 。

 

 

 

ー暴力ー子父の豹変

 

S)あれだけ結婚して子供作ろう・家庭を作ろうって言ってたのに、私の方が「ちょっと待って待って」っていう感じだったにも関わらず、いきなり真逆の発想になって「おろせおろせ」っていうのばっかりで「おろさないんだった俺が殺してやる」みたいな感じで、そこで暴力が始まった。

 

わ)もう心音が聞こえ始めてた時に、暴力・・。どんな暴力がありましたか?

 

S)心音が聞こえた時点まではまだ大喜びだったんです。

「やったやった、本当に子供生まれる・生きてる・子供生きてる」みたいな感じですごい大喜びだったんですけど、そのほんの数日後にその前妻の子の話とかが会えないもう絶対会わないでくれていう話になった途端にもちょっと豹変してしまって。

もう夜中に泣きながら電話をかけてきたりとかして「今日こう言われたああ言われた」みたいな感じで「もう俺は死んでやる」みたいな感じにもなっていて。

私もバスがない中ずっと歩いてその人の家に行ってなだめたりとかはしてたんですけど、おさまるどころか、逆に怒りがおなかの中の子に向くようになって・・

「こいつができたから俺は娘に会えなくなったんだ」みたいになって、お腹を蹴るとか、階段から突き落とされるとか、、、。

一番はやっぱり突き飛ばされるとかお腹を蹴られるのがすごく多くなってきて・・

怖くて、もう本当に電話ももうそれからは出ないし、1度は家に押しかけてきたこともあるんですけど、そこはたまたま私一人しかいなかったので、玄関の鍵がかかってたので居留守は使ったので無事だったんですけど、とにかく、いきなり怖い人に変わったんです。

 

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ーおなかの赤ちゃんー

 

S)正直、無理やりされて出来たっていうのは頭にあったので、心音が聞こえない時にはおろすっていう選択肢も頭の中にはよぎってはいたんですけど、

でも、心音を聞いた時に、

「あ、生きてるんだ。この子生きてるんだ」と思って、

生きてるって言う、そのほんの小さい1ミリとか2ミリかもしれないけど生きてる子を、私は殺すっていうことは出来ないっていう風に思って、相手に「私はおろせって言われてもおろすことはできない」っていう風に伝えました。

 

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ー未婚出産ー

 

わ)未婚ひとり親になるっていう選択をされることになって、お母様との関係がさらに悪化したことについて少し教えてください。

 

S)もともと母とは折り合いがあまり良くなくて、子供の頃に「お前なんか産むんじゃなかった」とか、私の姉とはすごく仲がいいんですけど私は望まれて生まれた子ではなかったので。

もともと折り合いが悪かったところで未婚で産んで、「産まなかったらこの先お前も結婚して出ていくことがあるかもしれないけど、産んだらもうお前は一生独身のまま母子家庭になるんだよ」って言われて、それで「私は許さないしおろしなさい」と。

母も自分自身が堕胎を経験してることもあって、その堕胎に対してまったく何の感情も抱かない人だったので、とにかくもう「おろしなさい」と。「おろさないんだったら、おろさないでも私は認めないからね」っていう感じで「勝手にしなさい」っていう感じで、もうほぼ無関心っていう・・・。

 

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ー周囲からの興味本位な介入、心無い詮索ー

 

わ)未婚ひとり親への周囲からの興味本位な介入、それについておねがいします。

 

S)お腹が少しずつ大きくなってくるにしたがって、周りは普通の反応なんですけど、「結婚するの?子供出来たの?おめでとう!誰と結婚するの?」みたいな感じになるんですけど、でも「ちょっと相手の人とはお別れして私一人で産むんだよね」って言ったら、「そうなんだ、頑張ってね」とか「大変だろうけど」みたいな言葉じゃなくて「え何で何で何があったの?」みたいな、詳細をすごく聞きたがる人がすごく周りに多くて、何も聞かずに受け入れてくれた人っていうのは一人もいなかった・・・。

 

わ)それはSさんにとってどんな出来事でしたか?説明するのはしんどかったとか、気持ちの部分で言うと?

 

S)説明するにはちょっと頭の中が、まだこんがらがっていて。

・・・未婚で産むっていう人は周りにいなかったので、「離婚とか死別なのは分かるけど何で結婚せんで産むの」と「おろせばよかったやん」っていう意見ばっかりで、「悪いことしてるのか?産んじゃいけない子を産むのかな?」と思って、辛かったし、

産むことによって、結局、みんなからの視線が自分の子供にも行くのかなと思ったら、この子の為に産もうっていう行為が悪いことなのかな?って、その時はすごく悩みました。

 

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ーSさんを支えたものー

 

わ)周囲からも興味本位の詮索があって、自分もすごく混乱してるしこんがらがってる悩んでいる、、で何か悪いことしてるの私?みたいな感じになって。

それでもこのおなかの中に「どんおんおおきくなる」こどもがいる・・

Sを支えた気持ちってどんなだったんですか?

 

S)それはもう、もう本当に自分の身体の変化だったりとか、お腹が大きくなっていくこととか、胎動とか、蹴られる感覚とか、「僕、生きてるよ」って・・

まだその時は男の子てわからなかったですけど、「生きてるよ、生きてるよ」って・・検診に行くたんびに「お母さん元気ですよー、お子さん元気ですよー」とか産婦人科の先生に言われて、写真見たりとか動いてる様子を見ることで、何とか保ってたっていうところはあります。

 

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ーひとり親の子育て環境ー

 

S)まず母親に言われたのが「産むなら産むでじゃあここにいるなら実家にいるならちゃんとお金を入れなさいよ」と。

要は「お前が稼いでる間は私が(こどもを)見るんだからそのぶんのお金は入れなさいよ」と。

それは生活費とは別だと言うことで、私は親の反対を押し切って産んだので、

ぜったいに働かないと・お金を稼がないと、路頭に迷う、と思ったので、とにかく頭を下げてお願いして、朝7時から夜の9時10時、家を空けて、仕事で成果を出して、お給料いっぱいもらって、半分ぐらい家に入れてやってきたんですけど。

 

母乳を与えるのは、息子が朝と夕方、夜と、寝てるとき。ほんのちょっとの時間しかなくて、初めてハイハイしたとか、初めて立ったとか、初めて言葉を発したとか、そういうのも一番最初に見ることは一度もなかったんです。

とにかく母から「稼ぐこと」の圧がすごかった。

 

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ー子どもの難病ー

 

わ)お子さんが難病を抱えているというのははいつわかったんですか?

 

S)幼稚園の頃とかも生後9ヶ月ぐらいの時から成長曲線がどんどんどんどん下がっていって、おかしいなおかしいなと思ってたんですけど、役所の一才児検診とか3歳児検診って、いくらそれを訴えても「大丈夫、大丈夫。そのうちを大きくなるよ」って言われて、誰もその検診の時の先生はいってくれなかったんです。

でもたまたま同じ幼稚園のクラスの子がその指定難病に指定されてて、その子よりもうちの子の方が背が低かったんです。

なのでやっぱりおかしいんじゃないかなと思って、それから色々調べて、私はその専門の小児科を受診して、すぐいろんな検査をした結果非常に悪いということで、すぐ指定難病に指定されて、毎日同じ時間に注射を打たなきゃいけないっていう風な、まあ治療が開始されました。

 

わ)それが分かって(毎日)注射を打たなきゃいけないってなると、、 S さんの仕事の仕方、働き方も変わった。

 

S)そうですね。もともとその通勤も片道1時間とかだったので8時とか9時に終わると家に着くのは10時だったんですけど、

まだ幼い、まだ子供が5歳の時に見つかったので、睡眠を8時には取らせる、

もしくは7時半に寝るってなると、5時ぐらいにはもう家に帰らなきゃいけないふうになって、、、

さすがに面倒を見ている母とはいえその時も息子はもう2歳になってすぐから幼稚園に通いだしているので、四年保育で母が見てるのは朝の私が出てからバスの所まで行ってて帰ってきてから私が帰ってくるまでの間っていうぐらいだったんですけど、

でも、それでも、やっぱり私が早く帰って来るって言う事に対して、(母としては)自分に入ってくるお金が少なくなるって言うのもあったので、それに対してすごい嫌味も色々言われたんですけど、

私も一生懸命その時働いてずっと来てたので、ちゃんとした役職の仕事を任されていたんですけど、それが働けなくなるってなると一気にも収入がなくなると言うか、その役職にいられないっていうことになって、結局、そこを退職をせざるを得ない状態になりました 。

 

 

(前編終了、後編へ続く)

 

 

 

 

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署名ご賛同・拡散のご協力をお願いします。

キャンペーン「指定難病の子供の治療を続けさせてください」

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empower channel#3 かぴばらさん インタビュ-書き起こし全文

当事者メディア「empower channel」#3 かぴばらさん インタビュ-書き起こし全文

インタビュアー:和根崎いくえ

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ー理不尽なルール・禁止令ー

 

わ)かぴさんの育った家でのルール条件づけ、禁止令などについて教えてください。

か)はい。うちの家は俗に言う今でいう家父長制バリバリのルールで、父が、男性が一番偉い、女性はそのままお手伝いとかをするものだっていうのがベースのルールであって、プラス、「泣いてはいけない」とか「怒ってはいけない」とかっていう・・「感情を出してはいけない」というのは言われてる感じでしたね。

そして父が、伝え方が下手だったんだろうなとは思うんですけど、家長制度で、「女は勉強しないと犯される」って、ずっーとちっちゃい頃から聴いて育っていました。

 

わ)女は勉強しないと犯されるって言うのは何歳くらいから言われてた記憶がありますか?

か)幼稚園4歳ぐらいには言っていたと思っています。

 

わ)その時に犯されるっていう言葉って分かってましたか?

か)全く分かってはなかったんですけど、あとから、家で、大人の雑誌を見つけてしまって、字を見るのがのが結構好きだったから読んでたら、そのうちにこういうことなのかっていうのがわかったんだけど、また改めてお家に聞くほどでもないしなって感じで、言葉のニュアンスから軽蔑的な意味なんだろうなっていうのは理解してました。

 

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性的虐待 被害の状況 1ー

 

わ)子どものころから性暴力を受けていたということですが、、受けた暴力について教えていただけますか

か)そうですね、近所の子たち子供達とお兄さんお姉さん達がいて、その当時子供が多かったので一緒になって遊んでたんですけども、女の子は私しかいなくて、その中の年上のお兄ちゃんが裏に住んでいて、(当時)歌の中で’パンツを見たい’とかが流行ってたということがあって、それを’見せてくれ’みたいな感じで、こっちは全く何をされてるかわからなかったんですよね・・・、

それを真似して今度は家の中で弟が私に体を触ってきたりとか、パンツを脱がすとかっていうのがあって・・・でも最初はそういうのは(なんなのか)分からなかったです。 

 

で、いちばん事件性なったっていうのは、丁度母が入院してるときで、母の見舞いに歩いて行ってる時ですね、6歳です。

小学校の間を抜けてたんですけども、当時小学校で誰でも入れるような感じになってて、中学か高校ぐらいだったと思うんです相手は。

「小学校に今度あがる子だよね」みたいな感じで、「ちょっと用事があるから」って言って小学校校舎内に引き込まれて、レイプされたんですけども・・。すごい泣いて、泣いて、「解放してくれ」って言ったら解放してくれて、学校内だったから、平日はお休みだったと思うけも、他の職員さんとかいたんだと思うけど誰にも発見されなかったっていう状態で・・。  

その後、母の病院に行かないといけないけど、すごい顔は泣いてるけど、やっぱその、親から「泣いてはいけない」っていうのと、母が入院してたので「あなたがお母さんの代わりをしなさい」とのことで家の事をやっていたので、やっぱその、両親にも誰にも言えず・・っていう感じだったんですよね。

 

わ)心配かけたくなかった?

か)いや、怒られると思った。泣いたのがばれると怒られるし。

そうですね、誰にも言えず誰にも気づかれずだったんですけども数ヶ月後かな、同じところで同じ歳ぐらいの子がまた同じような被害にあった後に裸で近所の防火用水とかに浮かんでたっていう事件があってひょっとしたら同じ犯人かもなと思って自分がなっちゃったかもなーっていうのはちょっと思った記憶があります。 

 

わ)何を想った?

 か)・・記憶がないです。

 

 

性的虐待 被害 2ー

 

か)9歳から15歳までお父の知人で憲法の先生をやってる人から、9歳から6年間、性暴力に遭っていました。

うちの父がなんだか飲み会が好きなのでその人よく家に呼ぶんですよね。 呼んだら、自分達はまだ仕事が残ってるからって言って両親二人とも家からいなくなって、子どもたちと3人とその人だけになるんですけど、そしたらその人が私の布団に入ってきては、いろいろやろうっていう感じで、ある日それをうちの母に「気持ち悪いことされた」って言ったんですけど、そしたら、憲法の先生なので、「なんてことを先生に言ってるの」っていう感じですごく怒られたんですよね。すごく叩かれて・・。 そうなのか、これは別にアレなのか、と思ったんですけど、他の子にはしないし弟にもしないしおかしいなっていう感じだったんですが。。。だんだんそれがエスカレートしていって、そのうちにその人が勉強を見てやるからっていう感じで家に来いっていう感じで呼ぶんだけど、私は行きたくないんだけど、家の父母は「勉強教えてもらうなら行きなさい」みたいな感じで連れて行かれる、っていう感じで、そんな感じで、しかも「秘密だよ」って言われるから、打ちのめされるっていう感じで・・  

やっぱそれも誰にも言えず、自分も嫌だなと思うけど抵抗しても怒られるし、黙っとけば終わるから・・。 

終わった後に、その記憶を消すって感じだったと思うんですけども。  

そんな感じで15歳までその被害を受けていました。

で、途中、何回も行きたくなくて「辞めたい」って言うんだけど、母にしてみたらただただ「続けるこらえ性がなくて言いたいだけだ」みたいな感じだったので、ずっと怒られて、その度に戻されてっていう感じだったんですよね。

でも15歳の時、何をされてるかわかってきたのもあって、私も事を荒立てたくないっていうのもあったので、「受験勉強があるからやめたい」って言って辞めさせてもらったんですけど、今度はうちの父は「女は勉強しないと、頭が良くないと犯される」っていう考えなので、そのぶん成果をあげないといけなくなったんですよ。だけど、やっぱりそんなにテストもそういう渦中のなかなので、頭の中でとっちらかってる状態だったりで、やっぱりそのまま高校受験がその親の希望するとこにいけず、絶望された顔で見られたからどんどん家の中で居場所がなくなって・・・、

どうしたらいいかわからないけども、その時に、ふと、加害者といた時っていうのは(自分は)対象物としてはその役割があったな、と思って。なんか、その、その存在さえもないのか・・っていうかんじでしたね。自分が なんなのかっていうのがわかんなくなったっていう時期でしたね。

 

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ーSOSについてー

 

わ) SOS って他に誰か出したこととか、相談した他者はいましたか?

 か)ないですね。そもそもが、アトピーで、学校でもいじめられてた子で、いじめを先生が率先してやってるところがあったので・・。

 

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ー加害者についてー

 

 わ)お家に出入りしてた加害者は身近だったということですが、今は?

 か)うちの弟達が繋がりがあるので、すぐに来るっていう感じの関係性であるし、ちょっと権力を持ってる人っていうのもあったりなんかして、そこで繋がりがあるみたいなので、 出来るだけ避けるようにはしています。

 わ)加害者のことをどんなふうに考えていますか?

 か)特にはないんだけど・・本当は世間的にはこういうことがあったっていうので刑事訴訟なども起こせるんだったら起こしたいけども、実はもう時効になってるっていうのと多分それをやったところで相手が権力者/土地の権力者みたいなところがあるので私が言ったところで多分口塞ぎなるんだろうなと思ったらそこに勝つっていうカロリーは自分には残ってないなっていうところでもう関わらないっていう選択をしています。

 

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ー進路を決めるときー

 

わ)加害者との関わりになっていた拳法をやめて、進路について教えてもらえますか?

か)加害から逃げるっていう口実で勉強をしなきゃって感じだったんですけども、親の期待するほど成績が上がらなくて高校受験失敗。家は東京の理系の大学じゃないと絶対に駄目って事だったんですけど,元々無理だったので文系で何とか手を打ってくれたんですけど、自分たちはお金は出せない・自分でなんとかしろって言われたんですよね。それで何とかしろっていっても高校生のアルバイトでっていうのもあって、ものを友達に売ってお金を貯めたりとか、結構大きなお金を貯めました。でも受験の一月くらいかな、自分の通帳を見たらそのお金が全部なくなってたんですよね。多分(犯人は)親だろうと思ってて、けどもこっちとしては聞いたところでこんなお金どうしたんだと言われたらなんとも言えないなと、それは聞かずじまいで・・。

 

 進学直前になって「就職してくれ」っていう風に言われて、それで今まで「大学に行け大学行け」って言ってたのに急に今度は就職か、、と思ったこともあったけど、当時まだ求人があった方だったので自分で見つけて就職を探して行きました。 ただ、うちの母がちょっと認識が(おかしくて)後から聞いたら「結局あんた受験に落ちたから就職したんだよね」みたいな感じで言われたりとかして。ただお金のことも深く追求されなかったのも、たぶん母は本当に何も考えてなかったんだろうなって感じで、私が何を考え何をしてるとかっていうのが、あんまり関心がないタイプだったのかなっていう風に思っています。

 

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ー母親についてー

 

わ)お母さんに対して何か湧いてくる感情っていうのありますか?

か)ないと言うか、世間の人だったら、母としての愛情注いで欲しかった、とかっていうのがあるのかもしんないけど、とにかく就職したあとにすぐお金の要求をされたのもあったので、お金の要求があったりとか、買っておく。私は父親の役をずっとしてたので、母の夫の役割をずっとやってたので、お金を出すことによって私はその家庭内での居場所があったって感じなんです。

そういうのやってるうちにも理不尽なことを言われたりとかされてたんだけど、この人の考え方はわからないからもうこれはこれでいいやっていうの感じですね。

だから今一緒に住んでるんだけど、あんまり同調すると理不尽なこと言われるので、境界線をもって接してます。少し発達障害的な側面があるのかなと思っています。・・今までの家族の中でのやり取りでもちょっとそんな感じだったので、彼女は彼女で、それで生き抜いてきたんだろうなと思って、特に恨みとかはないですね。 

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ー就職ー

 

か)就職をしたんですけども、やっぱりそこでもセクハラが結構ひどくて、あんまりにもセクハラ受けることがあって、それでお給料もらってるわけじゃないのに、お給料安いけどうちの母からはそのまま大人の男並みの生活費っても要求されるって事があって、もうどうせだったら、と、セクハラが本文のって言ったら語弊があるんですけども水商売の方に行ってしまおうと思って、稼ぎがいいというのもあったので、それで水商売に入りました。

 

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ー同棲ー NOを認めてもらえない/自己価値と希死念慮

 

わ)18から28まで同棲されたころのことを教えてください。

か)たまたまそう言ってくれる人がいて、まずもう家がすごいいやだったので、就職先も凄かったので、彼の家に泊まってとかって言うか、だんだん同棲って感じです。

でも、いつか結婚ってなるのかなぁとか、思ったんですけど。普通の彼氏かなって当時は思ってたんですけど、今から考えるとやっぱり、交渉を求められる時にこっちに拒否権はないんですよね。結婚はしなかったけど当時でなんかその、「女性たるもの男性の求めに応じるのが勤め」というのがあったから、そこは真面目に応えていたんですけど、やっぱり人間の生理学的に無理な体位とかを取らされるからすごく痛くて・・でもやめてって言うんだけどやっぱやめてもらえないで・・そんなに生活費を出してもらえなかったし・・

その時に、安心できるところがあったっていうのもあると思うんですけども、摂食障害リストカットが始まりました。

 10年経った後にですね、ある日、向こうからの求めを断ったんですよ、「痛いからやだ」って言ったら、めっちゃめっちゃキレられて、それが別れの原因になりました。 当時は「女性は求めに応えないといけない」と思ってたから、言ってしまった後に、ついに年齢もあれだし、女としての価値ももなくなったなと思って・・。自殺企図はずっとあって、何回かチャレンジしてたんですけど、認識してはいなかった。そういうことはやっていたけど、それは自分が死にたかったとかは言ってなかったけど、自分から死のうという意思をもったのは、その後からですね。「(自分は)価値がないのに何でこうピンピンしてるんだろう」と。そこが不思議でしょうがなくて。メスとしてもホモさぴとしても価値がない。「(そんな自分が)ご飯食べちゃダメでしょう」って。

 

わ)次の同棲が始まるまでのこと教えてください。

か)その彼氏が、友達と会うのをすごい禁じたんですよね。だからあんまり横のつながりとかがなくて、たまたま会社を通じて昔からの知り合いに一人繋がって、そこに相談したんだけど、でもちょっと自殺企図じゃないけども死のうとしてるとかって言ったら逆に「バカ」ってめっちゃ殴られて怒られて、心配してくれてるんだろうなと思うけど、、死んだらあかんみたいな感じのあれだったので、この人の前で言えないなと思って・・。

 

 わ)それは話し相手としてはすごい数少ない相手、もしくは初めての相手でしたか?

 か)はじめて。この人にはもう「そうですよねわかりました」ってふりして心開かないようにしちゃって。

 

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ー当時の自分・今の自分ー

 

 わ)その時どんな対応してもらったら違ったと思いますか ?

 か)それはわかんない。  自分が自分自身にそれは「自分が悪いからだ」と言っているから、「聴いてもらうことすらも申し訳ない」っていうか、そんな「価値がない人の話を聞いてもらう時間をとってもらって申し訳ないと思う」としか言えない・・。

 

 

わ)その時のかぴさんが話をしてくれるってのは、ある意味すごい SOS だったのかもしれない。 けど、SOS を出してるかぴさんには、心開いてもらうっていうのは、、すごい深い信念があるわけでしょう~こんな価値がない人間~申し訳ないとか、、どんな登場の仕方とか、アプローチだったら少しは(開いてくれたかも?)と言うのはありますか?

か)何もかも無理やったかな。そんな気はします。何とかしたいけども、自分も人も多分信用してないとか何もそんな期待はしてないんだろうなぁ 。

 

わ)もし(イメージで)その時の自分に今の自分が会いに行くとしたらその子の心を開ける?

か)いや無理です。逆に無理やりに開かせるのは・・人がいると気を使わないと価値がないと思うから冷や汗かいてしまう。

 

わ)それはその子が本当に人も自分も信じてないというのもあるし、かえって人に気を使っちゃうから、ひとりで寝かせててあげたいなって思う、かぴさんがいる。で、当時の自分のイメージはそうだけど、そのイメージが変わってきて、少しは人と人に気を許せるようになったっていうのはいつごろですか?

か)2,3年前です。いちばん大きいのは、40過ぎて本当にその女性としての役割を求められなくなったこと。女子力とか。男性にじゃなくても女性に対しても「きれいに」とか「美しく」とかしなくなっても大丈夫というか。楽になった。そのころ、自助グループの存在を知って、そっからこの人たちが考えてることっていうのが、自分が欲しかった答えに近いなと思って、会いに行ってみようと思って、動いたのが最初です。

 

 わ)なるほど。ちょうど40過ぎて女性としての役目から外れてきた自分の感覚があって、楽になった。

 か)そうです。結婚も出産も求められないし。

 

 わ)少し楽になった頃に自助グループに出会って、その人達が考えてることとかシェアしてることっていうのが、欲しかった答えに近いなと思って、その辺りからご自分の事を話したり・・

 か)はい。否定されずに聞いてもらえるし、こういう考え方で関わって、境界線的なものとか、そう関わるとみんな傷つかずでいいなとか、っていうお手本の、参考資料じゃないけど、持っているというがあって、「ここじゃん」みたいな、こういう考えの人がいるなら「このグループに属したら楽じゃん」みたいな。

 わ)そこから変わってきたんですね。ありがとうございます

 

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ー虐待の後遺症ー

 

わ)虐待とか暴力の後遺症どんなものか教えてください

か)その後から、今もなんですけども、人と二人っきりになるのは異常に緊張する。男性とかだとまず無理っていうのがあるんですよね。じゃあなんで水商売?ってのもあるんだけども・・、

やっぱりちょっと大声出されたりするのは実はほんとすごい苦手だし、理不尽なことをばーってまき散らすような職場だと結構無理だったりして、それで仕事が長く続かないってことも多々あって・・。

でもそれで履歴書にどんどんどんどん項目が増えていくと、ただ’飽き性でダメな人だ’みたいな感じにされることも多かったんですよね。だから、水商売に行かざるを得なかったっていうところもあるし・・

逆に、もう、自傷行為じゃないんですけど、そんだけ嫌な、いつ嫌な思いにあるかわからない・・とビクビクするんだったら、もう「嫌な思いが絶対ありますよ」っていう保証がある水商売に行った方がまだ安心なんですよね。そこでどうやって survive すればいいか・・っていう気持ちがあったので。

というのがあったんですけど、結局そこでやってることっていうのは長年の自傷行為だったなっていうふうに今では思っています。 

 

それプラス、PTSDだったなって最近思うんですけど、夢の中でその事件の再現が何回もあって、そのたんびに助けを求めて大声出そうとして出ないんですよね。でも実際では夢なのか現実世界ではものすごい大声出してたみたいで、すごい大声で起きるってので、家族から「あんたうるさい」って言われた、多分それは後遺症ではないかなと自分では思っています。

それが、自助グループに通いだして取れたんですよ。軽くなって、眠れるようになって、大声で起きることもなくなって、その後にこれPTSDなんじゃないかなと。関連性があったのかもなぁと思ったりしています。  実はその間に、その件で精神科に2回かかったことがあったんですけども、全然違う病気も、拒食だったりとか、アルコールじゃなかったんだけど、アルコールの方の問題とかを指摘されてて、それがその声が出なくてわーと叫んでしまうっていうのと、男性が、じゃないけども、突然やっぱ、その現場にいた時の、自分の感情がスーッと消えるっていうか、自分の意識がスーッとうしろに消えて、あの現状が何が起こってるか、本当膜が張ったような状態で認識できないっていうことが、やっぱ20年間以上、その被害にあって25年ぐらいかな、度々あったんですよね。ただそれも、何考えてるかわかんないとか、突然眠ったようになるとかっていうことで、仕事が続かないと、駄目だこいつって言われて解雇になったっていうのもあるんだろうなと思うんですけども。 そんな感じっていうのは後遺症だったんじゃないかなと思って、いまの精神科の先生にそこの部分って言うのはちょっと拾ってくれなくて・・。

 

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ー二次加害ー

 

わ)二次加害について教えてください。

 か)そうですね。二次加害になるのかはわからないんですけども、自分の中で先天的なものなのか、、恋愛感情っていうのが本当に分からなくて・・。  だからなんか付き合ってどうのこうのとか、気があるとかっていう話をするのがすごいのが苦手でもあるんですよね。アセクシャルとか自分のジェンダーが迷子です。生物学的に女子だなっていう自認はあるだけど、全くそういうところがなくて、だからその話についていけないしそういう感覚がわからないっていうのが結構大きい。自分がちょっと分からない。 

 

ただ単に遊びで付き合いたいのか本気で付き合ったのかわからないけど、その時(付き合った)男性がいて、その方に、実は「子供の時にそういう被害にあってるから付き合うのってよくわからないから怖いんだ」って言ったらその日に車の中でレイプされて・・。

それが、「お前一回そういう被害にあってるから別にも減るもじゃないけん、いいだろう」みたいな感じでいわれたのがすごいショックだったんですよね。 

聖母神話と処女性神話の、その精神みたいな感じで『女子がそれがなくなると価値がなくなる』みたいな社会通念てあるのかなっていうのを思いながらそれを受けるのも二次加害なんじゃないかなって思ったり。

 

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ーSOSー

 

わ)SOS について教えてください。

か)はいそうですね。やっぱそういうことじゃなくても結構大きな性暴力とかもあったので、実は警察にも相談したりとか、性暴力被害者センター支援センター・・東京だと違う名前だったと思うんですけども、そこに相談をしたんですけど、もういい歳こいてじゃないけど、32歳だったりとか、あの二人きりでいたら同意とみなされますよみたいな感じで言われて相談員そうですね警察もやっぱそれ以外でそのあの最初の職場の職責セクハラって言っても、車の後ろに引き継がを引きずり込まれてレイプみたいな感じだったとか脱がされるとかあったんですけど、それも言ったんだけど、そういう格好してるほうが悪い的なアレとか勤務中にそんなことがあるはずがないみたいな感じでは、2件ほど受理してもらえななかったんですよね。 

だから、ますますなぁって、じゃあどう自衛しろって言うのさって思うけども・・世間の認識ってそんなもんかっていう、もう諦めでもありますね。

そして今の職場でも、警察がひったくりとか、性犯罪とかがあってますから気をつけてくださいとかっていう風に言ってくるれるんですけど・・。「どう気をつけろというんだ!」でもまたあの人間に言ってもしゃあないしなと・・。

 

 わ)警察に行かれた時は誰かに一緒に行ってもらって、じゃなくて、一人で?

 か)はい。うちの周りは相談したら、「そういう目に遭うあんたがスキがあるんじゃないの?」と。そういう時は隙があるんじゃないのって言われるんですよね・・世間一般に「男ができない・彼氏できないのは隙がないんじゃないの?」と言われるし。どっちやねん!と・・

 

わ)受理されてもらえなかった時も、一人で、それを抱えて、家に帰って、普通に過ごしてたんでしょう?

行く前、行った時、行った後のこととか誰にも話せてない?  

 か自分でも腑に落ちないから、やだと思うんだけど、でも、社会通念ってそうだよね・・っていうのがあって。どっかで納得するしかない・なんか理不尽だよなあ・・と思いながらも、これが常識か・・っていう風な感じでずっと過ごしてましたね。

 

 わ)「これが常識」という風に考えるなら、そこから外れてしまったと社会に言われてしまう状況になった自分というのをどんな風に考えていましたか?

 か)そうですね。私は常識がないおかしい人間だと今でもちょっと思ってるところがあるんです。

 

わ)なるほど、そういう風に思っちゃうご自分がいて、でもそれはそうした思考と同一化しちゃうということもあるだろうけど、

それでも「これは被害だから」と(被害届を)出しに行ったかぴさんもいた。「どこかおかしい」とか、「救ってもらえるんだったら助けてもらいたい」とか、、「これは加害である」「自分は被害をうけたのだ」と認めてもらいたい思いは・・?

 か)共通認識とかベーシックになればいいなーっていうのは思ってます。ただ自分がそう思ってるけど、みんなは、その当時はみんなはそう思ってないんだと思って、おかしいけど、そうじゃない社会があればいいなって思ってたら、案外そうやって活動してる人がいるって言うの最近知っって、それですごく強くなったっていうのはありますね。

 

わ)当時はそれが社会通念だって持ってたけれども最近になって活動してる女性達がいる、女性だけじゃないかもしれないけれど、それを知って、今のそういった流れは、今のかぴさんにとってどんな気持ちですか?

か)やっと、やっと、スタンダードの時代になったな、と。 やっと今から。まだ随分今おかしいぞーと思ってて、スタンダードの芽が出た。本当に今の常識はおかしいと思ってるんですよ。

 

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ー仲間へのメッセージー

 

わ)仲間へのメッセージをお願いします。

か)今、あなたが、性虐待、直接なものにあったんじゃなくても、なんか自分の中で「これおかしいな」と思う事とか、過去に(例えば私の場合は「泣いてはいけない」)言われたことを守っているだけど、どうもそれが自分のなかで引っかかるというものがあるんだったら、私たちは味方になれるかもしれません。

もしそれを周りに言って「いや、それあんたかおかしいよ」とか「社会ってこういうもんだから」「あんたさえ黙ってれば」とか言われて納得できないようだったら、是非私たちのところに来て、話してみて、自分なりの答えを見つけてみるっていうのもできるかもしれません。 

 

 

わ)ポジティブシンキング・占い・スピリチュアルなどの二次加害について

か)子どものころにSOSをだしてやっぱダメだったって思って、で妄想世界の常識ってこんなのかって、その自分だからおかしいなと思いながら大人になって。でもやっぱ生きづらさが抜けなくて。相談できるとこは占い師かスピだったんです。そこで色々学んだ言葉や、いいこともあったけど・・、ちょっと引っかかってしまうっていうのがあって。

「今までのことに全部感謝しないと駄目よ」とか「それはあなたが人生で選んだ青写真だからあなたが全部選択したことだから」とかっていうのは・・・。今でもそういうカウンセリングをしてたる方は往復びんたしたいです(笑。 

それよりも何よりも、自分がまず第一に「傷ついた」っていうことを自分で認める。「自分が傷ついたんだ・つらかったんだ」って言える場所をつくることのほうが大事だと思うんですよね。それをすっとばして、「マイナス言葉を言うと駄目になるからプラス言葉で」・・なんて言って無理くりプラスのポジティブな風に捉えようなんてすると、絶対に身体を壊します。そういう人たちっていうのは、そういう怖いことに遭ったっていうことを聴くのもすごく怖いから、見たくないと思って口を塞いでくる。そこも、二次加害というか、セカンドレイプだと私は思ってます。

 

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性的虐待とは

性的虐待(sexual abuse)

 

子どもに対して行われる性的行為のすべて。

次の二つに大別できる。

⑴性的暴行(sexual assault)|  強姦、近親姦、その他の性的行為の強要・誘導・教唆

、行為者の欲求を満たす意図で性器・性交を子どもに見せる。


(2) 性的搾取(sexual exploitation) | 子どもをポルノグラフィ(映像、絵)の被写体に
する、子どもに性的な行為をさせて人に見せる、子どもに売買春行為をさせる。

 

*一定年齢(たとえば一四十一五歳)に達していない子どもの場合は、子どもの同意による性的行為も虐待とみなす。

empower channel  #2 らむねさん インタビュー書きおこし(前後編)

empower channel  #2 らむねさん インタビュー書きおこし(前後編)

※インタビュアー:わねざきいくえ

 

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ー虐待の後遺症ー

 

わ) 虐待の後遺症について教えてください。

 

ら)まず前提としてあるのが「自分が愛されるはずがない」っていう強烈な刷り込みがかかっているので、これが根深いなって言うところなんですが、大きく分けると2.3点くらいあります。

成人してから仕事・パートナーシップで困るなって言うところですね。

まず仕事に関しては、仕事を引き受けたり、どこまで頑張ればいいかっていうのがわからないっていうのと、いつ休めばいいのかわからないっていうのがすごく困りました。

パートナーシップに関しては、親密になることへの恐怖って言うのがあるので、どうしても、父母から愛されなかったっていう、人から好かれるはずがないっていうのが呪文のように効いていて、本当に好きな人に付いて行くことができないというのが弊害だなって思ってます。

パートナーシップに関しては、どちらかと言うと「自分が必要とされているっていう喜び」の方が強くなってしまうので、自分がその人のことを好きかっていうよりも、必要とされたっていう喜びから交際をスタートさせてしまうこともありました。

後になって、その人のどこが好きだったのかもわからないようなお付き合いがあったりということもあったかと思います。


あとは、自分の考えてること自体がそもそもわからないって言うことがあって。

かなり以前の話になるんですけども、「あなたはどうしたいの?」って聞かれた時に何も出てこなかったという場面があったのですね。

それまでその親の意に沿うように立ち振る舞うのに家で精いっぱいだったので、自分は意志を持つとか自分の感情とか、自分のしたいことにフォーカスするという習慣がなかったので、すごくショックでしたし、困りました。

 

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ー二次加害ー

 

わ)二次加害について教えてください。

 

ら)1点目は、家族神話に基づいた文化だなって思うんですけど、善意の言葉がけだと思うんですけども、自分のバックグラウンドについて親しくなった人とかに話すと、「そうは言っても家族なんだからいつかは」っていうような、雪解けを示唆するような声かけをする人にたくさんお会いしてきたんですね。

ただ励まそうとして言ってるだけなんだろうとは今は思えるんですけど、以前はもうダメ出しにしか感じなかったです。

お伝えしたいのは、理解してくれとまでは言わないんですが、手の施しようのない家族・家庭があるって言うことを知ってほしいなっていうふうに思います。

 

2点目なんですけど、自己肯定感が枯渇していると、利用されたり搾取されやすいっていうところが二次加害かなって思ってます。

自分の体験としては、ネットワークビジネスの勧誘にあったりですとか、宗教に勧誘されたりというところがあって、どうしても、自分の低すぎる自己肯定感を上げられるんじゃないかとか、自分がひとかどの人物になったりすれば、家族も認めてもらえるんじゃないかとか、そういう動機を巧妙に突かれてしまうっていうようなところがあったかと思います。

 

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ー相談・支援ー

 

わ)相談・支援について思うことを教えてください。

 

ら)残念ながら、心無い支援の方っていうのが一定数いらして、特に私たちにとっては頼みの綱である福祉職の方だったり、行政の方、医療機関の方、一般の方より詳しいはずの方から言われる言葉っていうのは、与えてくるダメージが全然違うと言うか…

「そこは理解しててほしかったな」っていうことを言われたりということを、かなり体験してきました。

なので、資格があるとかないとかっていうのは大事だと思うんですけども、実務ベースで、本当に寄り添うっていうのは学問とはまた違う領域にあるっていうのも知ってて欲しいなーって思います。

甘い言葉を言って欲しいわけではなくて、ただ隣で一緒に泣いてくれたり、言葉に出てこないけど気持ちに寄り添ってくれてるなっていうのを目にするだけで救われる瞬間っていうのはあるんです。

プロの人こそ、同じ目線で寄り添うっていうことをしてみて頂きたいなって思います。

 

わ)相談する際に困ったことってどんなことですか?

 

ら)
自分はプロではないので、物事を順序立てて説明することができているかどうかもこちらとしては定かではなくて、

あとは、その話を聞いてくださる方の中で「おおよそ、こういったパターンだろう」みたいなものに当てはめられている感じもしたりっていうのもありました。

お仕事としてなさってるのは分かるんですけど、持っているストーリーってひとりひとり個別のものなので、メガネをかけずにしっかり話を聞いてほしいなって思いますね。

その一方で、ずっと支援に携わるっていうことは、支援をされる方の消耗もあると思うので、そういった方々のケアも含めて、国であるとか行政とかに考えてもらっていうのはありますね。

 

わ)「相談できた!と思えたのはどんな場面でしたか?その相談員たちの共通点は?

 

ら)
人間同士であるっていうのを大切にしてる方々だったのかなって思うんですよね。

立場をどうこういうよりは、フラットに「人と人」という気持ちで関わって下さったんじゃないかなって。

 「人の尊厳」とかって法律で出てきたりする言葉だと思うんですけど、尊厳について意識しながら人を支援してる人たちがどのぐらいいるのかなっていうのを、すごく、今になって思います。

 

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ーひとり暮らしについてー

 

わ)ひとり暮らし・自立について教えてください。

 

ら)二十歳の頃から一人暮らしをしています。

 

わ)その1人暮らしはスムーズに出来た?

 

ら)そうですね・・・大変なシーンもありましたけど、やっぱり、喜びとか達成感とかっていうのも多かったなと思ってます。 わからないなりにも自分で暮らしてみる中で、培っていける何かがあるなっていう風に思っていて、それは、「自分の快適を探してもいい」とか、些細な自分のお金で何かを変えた時の喜びであるとか、そういうことですね。 あとは、「私は自分の世話を自分ですることができるんだ」っていう気持ちですかね。

なので、私は自分の個人の経験しかお伝えはできないですけど、法に触れるような危険なことは除くとしても、どんなことをしてもいいから自立・自活はできた方がいいんじゃないかなという風に思っています。

 

わ) いざ自活・自立・一人暮らしをして、想像してなかったこととか意外に快適じゃないんだなって思ったこととかありましたか?

 

ら)
税金のこととかどう保険とか年金のこととか、中学校とか高校に行く中でおそらくある程度勉強はしてるはずなんでしょうけど、実際にその生活をしていく中でどうしたらいいのかってのが分からないことがいっぱいあって、

市民税とかの支払いをするべきものなのかどうなのかとかってのがわからなくて。

一人暮らしを始めたばっかりの時に最終差し押さえ通告書が来てしまって、「これは何だろう」っていうことでこわごわ役所に行ったこと覚えてます。

そういうことを気軽に学べるような場所があったら良かったんだろうなというのはありますね。

 

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ー家のしきたり・ルール・教育 ー

 

わ)家のしきたり・ルールについて教えてください。

 

ら)うちは
経済的に割と困窮していた家庭で、その経済状況を知るっていうのはとても大切なことだと思うんですけども、通帳を見てはいけないとか、日頃家にはお金がないっていうことをしきりに言われながら、じゃあそのどういった経済状況でどういう風にして行ったらいいみたいな建設的な会話が全く無く、お金に困っているけれども「お金について考えたり話したりするのは悪」、みたいな、ものすごく矛盾したもの(メッセージ)を受け取っていたなと思います。

あとは「性に関すること」も。

印象的な話としては、私が小学生低学年の時に学校の図書室で借りた、性に関する、妊娠とか出産とか男女の体の仕組みについて分かりやすく書かれた本を借りてきた時に、母親から火が出るほど怒られて「すぐに返して来い」と言われたことがあって。

あとは、高校生くらいの時に、彼氏を自分の家に連れて来た時に「ドアを閉めてはいけない」とか・・。ドアを閉めていると怒鳴られて呼びつけられるので、行ってみると「あなたの部屋にはベットがあるでしょう」ということで・・・

そういう、「いけないこと」。性というのは「いけないこと」でした。

でも、私がいる・兄弟がいる・・・ものすごく矛盾していて。

そういった「いけないこと」をして生まれたのが自分なのかっていう・・

ものすごくそれも矛盾だと思いますし、そういうことでも理不尽な理屈・・・

理屈にもなってないようなことだなっていうのは、かなり時間が経ってからやっとわかったことです 。

 性だとかセックスに関することについて、母親からは支離滅裂なことをずっと言われてたわけなんですけども、とある日に燃えるゴミの中にそのままのコンドームが入ってたのを見て。ちょっとこう・・、ちょっとと言うかすごく軽蔑しましたね。

両親のこと、気色悪いなと思いました。我が子には、性に関しては「良くない・とにかく悪いもの・避けるべきもの」みたいな話をしておきながら、そういったものを頓着もなくゴミ袋にそのまま捨ててるその両親のレベルの低さ・成熟していなさに、すごく嫌悪感を抱いたの覚えてます。

 

わ) お母さんとはその話はしましたか?

 

ら)してないですね。ずっと誰にも言わずに、自分の心にしまったままです。

 

わ) 母親と一緒に暮らしている中で、最後まで、性の話はできなかった?

 

ら)特に「こういったことに気をつけなさい」とかいう話はされなかったですね。

テレビとかでもそういうシーンがあると、なんとなく気まずさが漂うみたいな感じでしたね。

 

わ) なるほど。そういうご両親が、自分たち子どもを作って育てて、らむねさんにしてみれば「私はなに?」って(さっき仰っていたけど)なりますよね。

 

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ー 家族とは ー

 

わ)らむねさんにとって家族ってどんなものでしたか?

 

ら)今となれば、一般的なと言うか正常に機能している家族家庭からはおよそかけ離れてる集団というか・・・絆はなかったですね。

絆が生まれるようなシーンもなかったと思います。父にも母にも怯えてという感じ。例えば、バランスの取れた家庭であれば、父が叱るようなシーンがあれば、母親が後でフォローするとかそういうことがあると思うんですけど、私の場合は、まず、母に叱られて、その後その叱る内容のレベルが両親の間にあったのかわからないんですけども、これではおさまらないという時には、もっと強烈なもの、ビンタ・とか殴られるとかっていうのを父からされて、何のフォローもなく終わりっていうような。

 

わ) 他の家族が助けてくれることはなかった?

 

ら)そうですね。殴られてる時は助けてもらったことはないですね。

もうそれが当然の制裁と言うか、受けてしかるべきものと言うか、暴力だっていう概念もまだなかったので、おそらく両親の間ではそういった概念だったのかなと思います。

あまりにもつらかったことはちょっと記憶からなくなってしまってるんですけど、 

許してもらうために縋りついたりだとか、求められてもないんですけども、反省文みたいなもの一生懸命書いて、両親の目につくところに置いておいたりですかね。



わ) 両親に許してほしかった?(許してほしくて書いたの?)

 

ら)とにかく子どもにとって両親っていうのは全てと言うか、小さい時は自分の世界の全てだと思うんですよね。

そこに肯定してもらえなかったり共有してもらえなかったりしたら、生命に関わることを、多分小さい子どもは知ってると思うので、どういう理屈であれ許してもらわないと命に関わるっていう本能的なものだろうと思うんですけど、

とにかく自分が悪いんだろうから謝っておくっていう動きを自然と身につけていたような気がします 。

 

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ー回復についてー

 

わ)回復について教えてください。

 

ら)回復っていうものについて知らなかった時は、ただもひたすらなんだかわからないけど生きているのが辛い・生きづらいって言う・・

どうしていつもモヤモヤして、気がふさぐような状態で毎日過ごさないといけないんだろうっていうことばかりで・・

でも回復っていうことを理解できてるかわからないですけど、知ってからは、今は「回復」というのはプロセスであって、生涯をかけて続けることだなっていうふうに考えてますね。

 

特に一番安全な場所であるはずの家庭で傷ついたので、それ以外の他人が怖いってのは自然なことだと思うんですけど、もちろん他人との関わりの中で余計に傷つくこともあると思うんですけど、今私が自分で思うのは、結局人に傷ついても人に救われているなという風に思います。

 

とにかく、私が一貫して思っていることは、「助けて欲しい」っていうのもとにかく言い続けて欲しいなっていう・・・あんまりその自分に関心がないものだと思うんです、他人というのは、自分のことで精一杯なので。

なので、大袈裟だと思っててもいいから、それでも発信をし続けることを、今は発信をしやすい時代にになってきてると思うので、

助けてほしいっていうのを、実際の対面してる人に対してもいいですし、ネット上でもいいですし、 助けてほしいってとにかく色んな方面に向かって発信欲しいですし、

ここだって思う人・支援をしてくれる人とか、自分の安全基地になってくれるようなコミュニティと出会えたら、そこでしっかり自分の振り返りと言うか、嘆いたり怒ったり泣いたりしながら、ちょっとずつその人のタイミングで回復っていうのが始まって行くと思うので。

 

どんな局面にいる方でも、最終的にその帳尻が合うと私は考えているので、そういうふうな体験をできれば一人でも多くの方にしていただきたいなと思います。

 

 

わ) 帳尻が合うというのは?

苦しかったこともあるけど回復していくプロセスで回復を通して、昔はこうで今はこうとか、らむねさんの言葉で教えていただけますか?



ら)昔はもう、とにかく鬱屈としていたなと思いますし、人に縋りたいけど人を恨んでと言うか、卑屈な気持ちだったり、問題のない家庭と思われる人に対して妬ましかったりとか、もうぐちゃぐちゃとしていたんですね。

「開く」っていうことを教わってから、攻撃性の高かった自分が変わってきたなと思いましたね。

「もっと怒った方がいいよ」って言っていただいたりとかする中で、いろんな許可が自分の中におりてきたのかなと思うので。

 

私にとってはこの数年が大きな変わり目だったなと思うんですけど・・

よく虐待犬とか特集ニュースがあったりすると思うんですよね。

ものすごくいじめられていた犬とか猫とかが、最初は人を信用できなくて、怖いから攻撃をして、もうずっと見守ってくれる人に触れて、やっと心を開いていける・自分の感情も出すことができるし、欲しかったものを「欲しい」って言えるようになったりとか、軸が変わっていくのを感じました。

 

他人軸から自分軸にっていうのも、自分が他人軸になりやすいんだっていうのを知れたことも収穫だと思いますし、今後もそういう自分と付き合っていく中で、まずは自分が自分を幸せにして、それから人のことかなという風に思います。

 

自分は特に自分の体験をおおっぴらにするということは普段しないんですけども、やっぱり自分のことをしっかり立て直して、ある程度安定した時に、自分のモヤモヤとか損得勘定抜きにして、人に手を差し伸べられる状態になってからじゃないと、意味がないなと思うので・・・今日は貴重な場だったなと思います。

 

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ー開くことー

 

わ) 閉じた心を開く時、恐かったり痛かったりしんどかったりなどありましたか?

開いてみる前、開くとき、開いた後、どうでしたか?

 

ら)そうですね、一言で言うと怖かったですね。不安もありましたし、自分が渇望してるものを「渇望してるんだ」っていう自分の認識をしないといけない。

 

わ)「本当は欲しくなんかないよ、私これで大丈夫」って?

 

ら)はい。そういう複雑なバックグラウンドを持ってる自分だけど、しっかりやってますっていうような振る舞い方・演じ方を会得してしまっていた後だったので・・

もっともっとシンプルに、色々削ぎ落として、知恵をつける前の子どもらじゃないですけど、その状態に戻って、「欲しいのか欲しくないのか」とか、「好きなのか嫌いなのか」とか、そういう選択の段階に戻るのは恐ろしかったですね。恐ろしかったですし、最初はとても頑なだったなと、今振り返って思います。

いろんな必要だった知識をもらって自分の心開いていく中で揺り戻しみたいなこともたくさん経験したんですね。

自分の中でこれは間違ってるって思うような方向に走っていてしまったこともありますし、なかなか変われない自分にイライラしたりとか、周りの人に対してもなんとなくギスギスした態度をとってしまったりていうのも何度も何度もあって・・

でも、本当に心の安全基地だったり見守ってくれる人・環境に出会ったら、怒涛のように自分が変わっていくっていうのを自分でも思いますし、自分を取り巻く環境とか身近な友人とかからも、かけられる言葉がどんどんどんどん変わっていくので、それで相対的に自分は変わっていけてるのかなみたいな。

 

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インナーチャイルド

 

わ)インナーチャイルドのことについて教えてください。

 

ら)言葉とか内容については元々少しだけ知っていて、インナーチャイルドセラピーってのがおそらく自分には必要なんだろうっていうのはずっとあったんですけど、実際受けてみてやっぱり必要だったんだなと思いますし、最近は特に。

はっきりと何かが見えるっていうわけではないんですけど、(商品名出してまずかったら切って欲しいんですけど、’スポロン’っていう、小さい子が飲む乳酸菌飲料がちっちゃいサイズなんですけど)最近なんとなく自分に買ってあげようかと思って、買って飲んでみて・・小さい頃とは味覚が変わってるので、小さい時のようなショックを受けるぐらいの美味しさっていうわけではなかったんですけど・・

これを自然に自分に対してしてあげられるようになったのかっていうのはちょっと感慨深い・・・。

そういうことを「自分にしてあげようか」とか思ったことがなかったので、

多分、無意識で、そういう意味で、自分の中の小さい時の自分がこれで満足するんだなーって言うぼんやりしたイメージですけど、そういうことがありました。

 

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ー パートナーシップ ー

 

わ) 最近ニコニコされてらっしゃいますよね。

 

ら)はい。自分の人生には絶対に関係ないだろうって思うような出来事がいろいろ起きていて、、

今年すごく大きかったのは、 素敵なパートナーができたのって言うところですね。

たぶん今までの自分だったら出会えなかったと思いますし、見つけても多分見逃してたと思います。

これもプロセスだと思うんですけど、やっぱりもちろんいい時ばかりではないので、困らせてしまったりするシーンもたくさんあったと思うんですけど、本当に感謝と言うか、相手の方が本当に優しいので、許してくれたり理解に努めてくれたり、今とても良好というか穏やかなお付き合いをしている状況です。

 

わ)よかったですね。昔のらむねさんは、そうしたこととは真逆の扱われ方・関わられ方を家族にされてきたけれど、今はそれと違うことが起きて、混乱とか抵抗とか揺れとかありましたか?

 

ら)ありますね。やっぱり優しくされると恐ろしいみたいな謎の感覚が。根が深いので。 「自分が優しくされるわけがない」とか「何か条件があるんではないか」とか。そのパートナーにというわけではないんですけど、優しくしてくれる人に対して何かそのそれ相応の対価、なんらかの対価を支払わなければいけないに違いないのみたいな思い込み。 

 

わ) 刷り込まれた思い込みと相反するんですもんね。そうしたときに知識は役に立ちましたか?

 

ら)そうですね。そこで得た知識が無かったら、多分そもそも今のパートナーシップ存在してないかもしれません。

 

わ) そういう相反することが起きて混乱したり理解ができなくなっちゃう…

けれどそのまま「今は優しくされることを受け入れていく・馴染ませていく段階なんだ」と気づきつつ開いていく・・そんな感じなのかな。


ら) トライ&エラーというか、何が起きても見守るとか留保するっていうことを知らなかったので、それまでは・・・。

あとは、その相手の感情だったり相手の捉え方はこちらから操縦できるものではないとか、いろんな必要なことを知ってからは、友人関係でも、それ以外でもパートナーシップでも、仕事でもそうですけど、ゆるやかに見守れるようになってきたのかなと。

短期決戦しがちだったんですね。今、状況が良くないということは、すぐに離れなくてはいけない段階だ、とか。すぐにそういうコンセント引っこ抜くようなことをずっとしてきてしまって。

 

わ) 今はそれが変わってきてる?

 

ら)仲間の支えもあって、自分の本意でないこと・本心でないことはしなくていいとか、サービスをしなくていいとか、そういうことを、こういう必要なコミュニティにいることで支えてもらいながら、パートナーシップについても、二人だけの世界に入らないことが大事だよっていうことを教えていただいて。

その重要性を今ひしひしと感じてる状況です。

 

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ーギフトのワークー

 

わ)今のパートナーさんとアコアの「ギフトのワーク」をやってらっしゃると小耳に挟んだのですが♡そのこともお話しいただけますか?

 

ら)
「ギフトのワークっていうものがあってね」っていうの話をしたことはないんですけど、なんとなくアコアでそのギフトのワークっていうものを習ってから、今のパートナーにもお願いしてみようかなということで、「言ってもらいたいことがあるんだけどいいかな」みたいな。

で、「『よく頑張ってるね』って言ってもらえないかな」ってお願いして。

先方は「そういうのってご感想としていうものじゃないのかなー」みたいな、最初困惑してたんですけど。「お願い」って言ったので了承してくれて。別に難色を示していうのことは全く無く・・。

それからなんとなく自然に「言ってもらいたいことある?」とかって聞いて、「『お疲れ様』って言って欲しい」とか言うのが発生して、わりとしょっちゅうそういうことをやってます。

 

わ) ギフトのワークー言葉を渡す受け取るーをやってみて、何か変わってきましたか?やってて良かったなとかありますか?

 

ら)(よかったと)思います。

言葉って本当にギフトだなと思うんですよね。

心ない言葉をかけることもできるし、綺麗にラッピングしてリボンをかけてあげるようなともできるツールなので、どう使うかによって全然状態も変わってくる。

パートナーシップの状態もそうですし、自分の日々のコンディションにも大きく影響してくるなって言うの感じます。

 

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「ギフトのワーク」

 

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enpower channel #1 伊藤楓さん インタビュー動画書きおこし(後編)

enpower channel #1 伊藤楓さん インタビュー動画書きおこし(後編)

※インタビュアー:わねざきいくえ(NPO法人アコア)

 

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ー二次加害についてー

わ)支援してくれた大人、警察だったりお医者さんだったり医療従事者とかはいたと思うんですけど、そういう方たちから二次加害のようなことを受けたことはあるのでは?と思うのですが、二次加害について教えてください。

楓) 身近なところでは、一番は言葉の暴力が多くて…身体的な暴力といえば、精神科に入院した時に拘束に合ってるとか、私がずっと誰とも喋らないっていう部分で言えば、そこの部分が頭がおかしいとかキ○○イだ!とかいろんな決めつけを(一部の)ワーカーさんとか病院の先生もそうだし、カウンセラーとかもそうだしセラピーをしてくれる方とか…

子どもの場合、いろんなトラウマケアとかいろんな(治療の)機会があったんですけど、何一つ自分の為になったっていうことがひとつもなくて。

ずっと可哀想可哀想と言われて言われてしまうんですね。そういう自分の体験を教えてって言われた時に、大まかな流れで、こういうこと(虐待)が嫌だったから施設に入ることになってしまったっていう話をすると、みんな大人たちが泣いてかわいそうかわいそうって言われて。
可哀想だけで時間が終わってしまうんですよ。
カウンセリングの時間が苦痛でしかなくてしかなかった。
「でも、かわいそうだけど今頑張るしかないよね!」とか、環境っていうのはもう本当にどうしようもないよね!って。
どうすることもできないから、じゃあ、暗く落ち込んでいるよりは楽しいことを考えよう!っていうふうに無理くりプラス思考に持って行かれるって言うのがもう苦痛でしょうがなくて。


わ)その苦痛っていうのは、まずひとつは、多分今までも何回かお話しして下さったように、
しょうがないよねって言った後に今度はあなたをプラス思考にさせようとするとか…

楓) はい。

わ)どんな言葉だったら良かった? どんな人だったら良かったと思いますか?

楓) 私は一緒になって落ち込んでくれるとか、その他の(私の)意見に対して、きちんと同意をしてくれて、可哀想って言われるのはものすごく惨めな気持ちになるので私はものすごく嫌いだったんですけど…

わ)一緒に落ち込んでくれるとか困ってくれるとか、気持ちに寄り添ってくれるとか…ですね。
「しょうがないよね」とか「明るい部分をみようよ」などという人たちは、楓さんにとって人ってどんな大人に見えましたか?

楓) 無責任だなと思いました。
絶望の中にいる子どもに楽しいことをしよう!って声をかける理屈は分かるんですけど…

心から楽しい、と、その本人が… 心から楽しめなければ、いくらその子どもに好きなことをやろうやろう!って(大人達が)言ってくれても、心から楽しめない。
大人が言うから嫌々やってるっていう部分を気が付いてもらえないから何の解決にもならなくて。

わ)絶望の中にいる子どもたちに対して、その子たちが好きだろうと思うことを「やれ」と言っても、心から楽しめるわけではないですよね…

その子達にとって少しはましな寄り添い方とはどんなものだろう?

楓) 施設でも学校でも学校の外でもどこに行っても自分の居場所がないような状態で、色んな人からいじめとか差別とか受けて、大人からも差別も偏見もあって。
いろんな決めつけが、子供たちの責任として、お前が悪いんだ!っていう風に頭ごなしに言われてしまうので…
まずは、子供の気持ちを今どういう気持ちで生活しているのか、何が嫌なのか、どうしてそういう風に嫌な気持ちになってしまったのか、どうして死にたい気持ちになってしまったのか、どうして絶望を感じてしまっているのか、ということをきちんと理解して聞いてくれる大人達っていうのが、多分一人でもいたら、私も楽しく施設での生活も過ごせていたかもしれないっていうか…

 結局、どうして親と私が一緒に住めないんだろう?っていう事を、ずっと教えてもらえなかったので、こういう事情でお父さんとお母さんと住めないんだよって、きちんと子供の頃から教えて理解させてくれれば、恨みにも変わらなかったし。
何が起こったのか。 自分の人生に(何が)起こったのか?っていうのがわからなくて。
それで、だんだん聞けなくなったりするんですよ。大人達に聞いても子供は知らなくてもいいことだ!とかいわれて、何も聞けなくなったりするんです。これはちょっと今は言えないけどもう少し大人になったら教えるね!とか。そういう言い方でずっと避けられてきたんですね。


わ)あなたの「なぜ」という気持ちや、知りたいとか、そういう正直な(疑問にだれも答えてくれなかった、一緒に考えようとしてくれる人がいなかったんだね)

楓)みんなわかると思うんだけど、それを、本当に、子供達が難しい言葉を使わなくてもできるのに、子供は分からないだろうって、これは子供が傷つくから言わない方がいいとか決め付けて、しょうがないよねとか。子供のことを判断してしまうのはいちばん大きな暴力だと思っているんです。

わ)’尊重されていない’という言い方はちょっと軽い感じになるけど、そこには尊重がないし、きちんと経緯の説明もないし、子供の感情を無視して大人はこうだからこうしなさいって言う決め付けでしかなくてそこに「従え」って言う・・

楓) そうです。多分この子はこういう風に思っているから、こういうことを経験して、こういうことをされてきたから人と口をきかないんだろう!っていう、教科書的なマニュアル的な対応しかされてなくて。そこの教科書に載っている言葉しか言わない。その子供に起きている、子供の中の戦いとか、葛藤というものを、全く見ようとしないし、事例にあてはめてすべてを対処してしまうっていうのが、もう加害行為だと。 
感情のコントロールもそうです。

全然楽しくないと思っている心境の子供に、なんでそんなに楽しいことをしようしようしようよって強制して、楽しいことを考えれば自然と楽しくなっていくからとか、それ(強制、決めつけ)が二次加害。

わ)強制、押し付け、決めつけが、蔓延している。それが二次加害ということなんですね。

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―悪い支援について―


わ)ここからは相談とか支援について、いい支援、悪い支援があるとしたら、そのことについて教えてください。

楓) はい。悪い支援というのは決めつけてくること。

(本人)気持ち(意志)を何も聞かずに「あなたはこうした方がいいよ」「こういうものがあるからこういう風にしたほうがいいよ」「こういう風にするべき」というふうに、自分の気持ちを無視して決めつけてくる人たちの意見というのは何一つ聞かなくていいと思ってるんです

わ)それが悪い支援。強制、おしつけ、決めつけ。先ほどの二次加害と同じですね
気持ちを聞かない。

楓) そういう人達とは一切繋がらなくてもいいし、いくら意識を持っていても、自分の感情やメンタルにものすごく悪く悪い影響を与えるので、もう逃げたほうがいい支援内容だと思います。
いくら大きな団体で、いくら子供を支援したいっていう団体であったとしても、自分のことを否定してくるような方とか、そのお友達の決めつけた意見を言ってくる人たちからは、全力で逃げる、というのが一番の対策だと思います。

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―家族への気持ち・想い―


楓) 私は家庭とか家族っていう言葉に、すごい憧れが強くて、多分、他の方よりもものすごく憧れが強くて。 自分の理想とする家族っていうものを高校生の時に自分のイメージで「自分はこういう家族だったらいい」っていう設定まで作って、自分の事を(周りに)嘘ついてお友達に伝えたりしていた時期があったんです。
それを振り返ると、なんでそういうことをしたのかって言うと、やっぱり現実的には全く真逆の出来事が自分に起こっていて、それを認めたくなかったっていう思いがすごく強くて…

でも、母親とか父親っていうものは、ものすごく憎んでいた時期が何十年も続いていたんですけど、今は、ちょっと会いたいなとか、何してるのかなとか、元気かなとか、兄弟に対してはものすごく会いたい気持ちが強くて、やっぱりみんなでどこかで一緒に会えて、また家族として形を機能できればいいな、っていう気持ちはあるんです。
けど、現実的にいろんなことを法的な手続きを踏んで色々調べてみたんですけど、なかなか辿り着けなくて、会えるっていう事は叶わないのかなと今は考えてるんですけど。

親はものすごくダメな親で、社会的に見れば、もう、人としても駄目!大人としても駄目!って言われるような人達だったんですけど、それでも、なんか、私にとっての兄弟と一緒に過ごせた時間とか家族、そして機能はしていなくて、ネグレクトもあったりと、ひどい親でしたけど、それでもなんか家族の形っていうのがそれなりにあって。
それがあったから、たぶん私は、嫌な思い出とともに今生きていられるんだなっていうふうに思うように変わってきたんですね。
なんかそこは、自分が認めて親の事も親のダメさも認めて自分がのダメさも認めた上での、心境の変化だと思うんですけど、きちんと自分で何が起こったかって認めるっていう作業っていうものを、退所してからずっといろんなことを経験して考えてきて。
そこで両親への恨みっていうものが、だんだん消えて(薄れて)きて…
大人ってこういう感じなのかな?とか、親の立場だったらこうなのかな?っていうことも、考えられてきて。
それが虐待防止へつながる第一歩じゃないのか?というふうに私の自分の中で答えが一つ見つかったので、『親を許す』っていう心境の変化っていうものに変わってきたと思うんですけど。

でもそんなこと言ってもまだ完璧に許すっていうことはできないんですけど。
でも、それでも理解はできて来たっていう部分で言えば、自分のひとつの成長なのかなと思ってます。

わ)なるほど。自分に起きたことがなんだかわからないままだとやっぱり変わらないけど、経験や環境の変化とともに理解してきて、気持ちも変わってきたということなんですね。

※※※(信田さよこ談)虐待を受けた人が加害者になるかならないかは、自分に起きた被害を認めて受け入れるかどうかによる。あれは躾だったのだと捉える人は他者にも同じように躾という暴力をふるう。自分が弱かっただけだと捉える人はもっと強くなろうとして自分より弱い人を支配する(暴力を用いる)ことになる。

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ー虐待の後遺症について―


楓) 大前提に、周りの大人達っていうのは「あなたのことが心配だから」「あなたのためを思って」「あなたが良い人生を歩めるようになるために」という理由をつけて、子供たちの叫びっていうのを閉ざしてしまう部分がものすごくあって、二次加害につながってくるんですけど、「それはあなたが安心したいから子供達にそういう風に伝えるんでしょ?」ってずっと思っていたんです。

「心配だから」っていうのはあなたの気持ちじゃないか!って。私は心配されたくて自傷行為をしているわけではないんですと。
そういう部分から始まると解離っていうのも、ものすごくつらかった出来事とかそういったものを打ち消したくて、まずは自分の妄想でこういう幸せな世界があるんだっていう風に自分の中で作り出していかないと自分の意識が保てなかったっていう部分から来るとは思うんです。

それが意識してそういう病気になってしまったとか、無意識でそういう病気になってしまったとか、っていう話以前に、どうしてそういう症状が出てしまうのか、そういったことをきちんと医療従事者たちが理解をしないで、「あなたはただ単に妄想癖が強いだけ」とか(決めつける)
これも全ての二次加害になってきてしまうんです。職員の人たちは「あなたのことを心配してそういう風に言ってくれるんだよ」とか。

でも、そこに「私の気持ちはひとつもなくて」
私がどういう風に感じて私がどういう風に思ってきたか、っていうことはひとつも聞いてもらえない。
その『分かってもらえない連鎖』っていうのがずっと続くから逃げ場がなくなっていってどんどんどんどん、自分はダメな人間なんだ自分がいけないからなんだ、っていうところで。

食事の面では、私が今太っているから、醜い姿だから、みんな優しくしてくれないんだ!とか、自分が悪い子だからみんな優しくしてくれないんだ!とか…(摂食障害)

「私は病院(入院)に行かなきゃいけないんだ」って思うともう絶望しかなくて…
自殺未遂にしてもそうで。皆は「あの子は構って欲しいからそういうことをするんだ」っていう風に加害してくるんですけど、実際、じゃあそういうことをしている当事者等がどう思っているかって言えば、かまって欲しいなんて思っていなくて、自分の気持ちのストレス発散ていう意味で(自傷行為)で逃げ場を作っているだけなんです。
それを全て「私が心配だからもうそういうことは悲しくなるからやめて頂戴!」って大人達は簡単に言いますけど、ものすごく苦しんでるのは当事者で、当事者の話をきちんと聞いて、聞いた上で「私が心配だからやめてくれ」なんていう言葉を(簡単に)言えるのか?っていう風にずっと疑問に思っていたんです。

そこの部分で言えば、虐待が続いて後遺症っていうのも解消されないまま、ずっと生きづらさを抱えて生きていくっていう状態に皆が追い込まれてしまう状況っていうのが一番の問題だと思っていて。

わ)二次加害とすごく密接につながってるってことですよね。

楓) そう思います。二次加害がなければ、トラウマの傷っていうのも深く刻まれ続ける事ってないんですよ。「大人なんだからもう自分できちんとしなさい」って言われても、大人だから子供だから、っていう問題ではなくて、きちんと当事者に向き合って欲しい!っていうのが一番の思いなんですけど…

結局病院の医師とかは、後遺症とか、支援者の方もそうですけど、後遺症っていう名前に置き換えてしまっているって言うのが一番の加害というか。「あなたがこういう病気になったのは虐待のせいでしょ?」とか「あの親のせいでしょ?」とか、いろんな理由を言ってきますけれども。一番はそこに原因はあったとしても、それを深く深く刻み込んでいるのは二次加害の方だと私は思っているんです

 

 

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ー仲間へのメッセージー

わ)虐待の後遺症が二次加害と密接につながっているという深い洞察で、色々見極められるようになってきたという楓さん、仲間へのメッセージがあったら教えてください。

楓) ずっと、私が仲間へのメッセージを伝えるのはおこがましいことだと思っていて、誰かに何かをアドバイスするとかそういった事っていうのは出来ないと思っていたんですけど…
じゃあ自分が回復するきっかけになったのは何か?っていうお話をさせて頂くのであれば、やっぱり信用できる仲間とか信用できる方に自分が心から信用できる方に自分の体験を話した、話せて認めてもらえたっていう部分が一番大きいと思うんですよね。
そこに巡り会えたっていうのは、たまたまかもしれないし、運が良かったっていう括りで言えば、うんと運がいいとか不運とかって、わけられる問題ではないと思ってるんです。

本来は全員がそういった方に出会えて、そういった方とお話ができて回復していくっていうプロセスを誰もが踏んでもいいはずなのに、(周囲の人)みんな暴力につなげて加害をしてきて、ますます悪化してしまうっていう悪循環に今の日本はなってしまっているので回復も遅れるし。
自分がこれでいいんだ!と思える選択肢を選べないっていう社会なので。

これをどうしても変えて行きたい!っていう私の一つの目標があるんですけれども、今は、本当に踏ん張るしかないっていう時期でも、もう死にたいと思って苦しんでる時期でも、一人でもそういう方と出会えて、繋がりができたなら、その方にいろんなことをぶちまけていいと思ってるんです。
それは私でもいいし、いろんな方に、自分の気持ちを打ち開けることですっきりするなら、暴言を吐いたって、ある時間の中でだったら自分の言いたい放題言っていいっていう場所があるなら、そこでぶつけてもいいと思ってるんです。

そういうことをどんどんどんどん積み重ねて段階を踏んで、回復のプロセスっていうところで誰かのせいにしたりっていうのもそうですけど、そういうことをどんどんどんどん、皆がやめなよ!だめだよ!って言われようが何しようかダメと言われるということでも言っていいと思ってるんです。
それは社会の人達が、勝手に決めつけた勝手なルールであって、私たちのルールではないっていう風に思っているので、そんなことみんなが悲しむからやめなよっていうことでも、自分がそうしたいと思うならばどんどんどんどんしていていいと思ってるんです。


わ)暴力からどうしたら抜けられると思いますか?

楓)一番は理解者。自分を理解してくれる方とつながることが一番重要だと思っていて、いろんな形でいろんな方とつながってきたんですけど、何かが違う、この人は分かってくれない!ってずっと私は思って生きてきて、ずっとひねくれていたんですけど 笑
一人でも自分のことを理解してくれるんだ!私の話を聞いてくれるんだ!って思える人に繋がるっていうのが、暴力から抜け出す第一歩だと思ってるんです。

わ)なかなか繋がられないのですね…

楓)難しいです。ものすごく難しいですね。「私に何でもいいから話をして」「私何でも聞くから」っていう人って今の時代 SNS とか、ものすごくたくさんあって。その方たちに話してみると結局はまた二次加害が始まるので、「もう絶対誰にも話さない」っていうループにはまっていくんです。

わ)私やアコアとはどうして?

楓) わたしがいくえさんやアコアに繋がれたのかは、一番は私の気持ちっていうものをきちんと噛み砕いて、いくえさんなりの見解をお話ししてくれたり、いくえさんの感情や気持ちを話ししてくれたり、対等の立場でお互いの意見をきちんと言い合えたという部分が一番大きくて。

私の中で一番大きいのは、否定がないっていう部分もものすごく大きくて、「あなたはだめ」「だからあなたも悪いよね」っていう言葉も一切なく、加害的な言葉・暴力がなかったって。感情をコントロールもしなかったし、私が思っていることとか私が抱えていたこんなんっていうものを全て理解してくれて、一緒に怒ってくださったり、共感してくださったっていうのが、一番私の心に足りていなかったものだっていうことにものすごく気付いたんですね。

私の考えっていうのは全て否定され続けてきて、「あなたがそういうふうに思うのは頭がおかしいからだ」っていう風に否定されてきたので。
(他の人は)「病気があるから」とか「身体のせいにされたり、外見のせいにされたり、「もっとニコニコ!毎日ニコニコしてればみんなも寄ってくるよ!」とか、そういう全然関係ないことを延々アバイスされたりとか。求めていないアドバイスを延々されるのでものすごく苦痛なんですよね。

なので、やっぱり、他にも共感してくださる方がいたってことが回復につながるのが第一歩で、

思考の変化っていうのも第一歩っていうふうに、私は思えているので。

絶対に繋がって、自分の気持ちを吐き出すのも一つだし、相手の言葉をに耳を傾けるっていうのもひとつだし、自分の思い込みが強すぎてっていう場合もあるし相手の思い込みが強すぎてって言う場合もあるけど、いろんな話をすれば理解し合えるっていうことが私もわかったので。

自分の気持ちを素直にきちんと話せるって言う環境と心の状態って言うのものがいうものが、リンクする時ってなかなかなくって…聞いてくださる方はいるけど私が今話せない。っていう状態だったりとか、そういう時がリンクする時期が必ず訪れる時があるので!

わ)それが起こるのを待てば大丈夫。ってことね!

楓)あとは怒りを我慢しないで!そして加害する人を責め立てていいと思います。
共感してくれる大人は必ずいるから繋がってほしい!

 

 

Thank You

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